恋愛

あるタレントさんの結婚に際して

1999年結成、2003年にインディーズ・デビュー、2006年にメジャー・デビューを果たした音楽グループ(cf:Wikipedia)の女性ボーカルが結婚したそうです。
私はこのグループに さしたる興味は抱いていなかったのですが、甥とカラオケに行くたびに、甥が持ち歌の一つとして必ず彼らの楽曲を「ご本人映像」で唄っていたので「ああ、こういうチームが居るんだな」くらいには認知していました。

今般女性ボーカルの結婚にあたり わたしが利用しているSNSが少し賑わっていたので一筆啓上したくなりました。

SNS内で当該ボーカルとの結婚願望を公言し続け、今回の報に触れてご本人は落胆し、一部のユーザーは彼(男性だと思います)を揶揄している。
プロフィールを拝見したところ、当該ボーカルへの愛情というか、思いの密度にちょっと息をのんだくらいです。

背後の人柄は知る由もないですが、文章力は人並み以上と感じられました。

私は当該ユーザーさんと今まで接点がありませんし、今後もご本人さんが負担に感じるようであれば、友人・知己の契りを能動的に結ぶつもりもありません。
また 本稿を以て、当該ユーザーさんへのアドバイスにするつもりもありません。

「そういや、自分にもそんな時があったよな」
と感じた程度。
コロナと熱中症 ふたつの警報・警告・警戒を促すフラグが立ち、私自身 父を失った直後の新盆のために自宅で過ごしているため なんとなく駄文を起稿してみたくなった次第。

私は少年時代、掛け値無しの少年時代、6歳年上の女性声優と結婚したい、否、結婚できて当たり前と考えていました。
ご迷惑がかかるといけないので お名前は伏せます。

1983年の8月半ば(もうじきですね)、とあるロボットアニメの準レギュラー(完璧なヒロインとは呼びがたい)の「中の人」としてデビュー。
前後してアニメフリーク向けのラジオ番組のパーソナリティーに着任。
今で云う「二次元萌え」をしてしまった私は、そのまま「中の人」に興味を抱いてファンレター…ではなく ラジオ番組への投稿をしました。

程なくして「サインとお礼のメッセージ」が書き込まれたはがきが送られてきました。
誤解して欲しくないのですが、往復はがきを送って返信を促したのではなく、ご本人が(スタッフを使役したかはさておき)はがきを手配して、私に礼状を送ってくれました。
そういう「投稿→礼状の返信」というのが数回にわたって営まれ、当時高校生だった私は 天にも昇る気持ちに包まれました。

高校生というか 思春期というのは、周囲に背を向けたり「お前達には分かるまい」な世界を構築して(物理的ではなく、心理的に)殻に閉じこもりやすい時期。自分の世界に閉じこもることが「格好良い」と勘違いしやすい季節。

自分が視聴しているアニメに登場する“美少女”の声を当てており
自身も人並み以上の見目形の女性声優とお近づきになった(と、勘違いしていた)。

これに
思春期
同世代の同性との 無意味な軋轢
親家族・年長者に対する理由無き反抗
が加われば あとは“堕ちてゆく”のみ。

1984年結成のファンクラブでは積極的に活動し ~イベントに参加するのではなく、イベントを企画したり会報・会員証を印刷発行したり~ 既に認知されている「顔と名前」をさらに売り込み 自分がいかに当該声優にとって有益な人間であるのかをアピールすることに必死でした。
幸い(?)勉学にもいそしむ程度の分別はあったので 学業成績は落ちるどころか上昇を続け、親にも文句を言わせない環境を作って活動を続けました。

得たものは
名前を覚えて貰ったという優越感・陶酔感
日々の学業成績まで憶えて貰っていたという優越感・陶酔感
雑誌「ジ・アニメ」に写り込んだ写真の中で間違いなく使っていたイヤリング
お手製の栞
ラジオ番組のノベルティ
数えるのが面倒くさいほどのサイン
当時は貴重だったオフィシャルな「生写真」
撮影する度に自分の表情が決まらなかった「ツーショット写真」
など…

別に将来について語り合ったわけではありません。
アニメに出演したら/新しい歌曲をリリースしたら 感想を書いた手紙を送る。
ファンクラブ活動で「目立つ」。

それで結婚できるものだと思っていました。

ええ、お子様でしたね(^_^;)

冷静になって周囲を見渡せば、自分の立ち位置などすぐに分かったであろうに。
ファンクラブの会員数は400名を超えていたと記憶しています。
つまり「自分みたいな奴」が400名もいるのに 結婚できると勝手に思い込んでいました。

1986年の秋、当該声優から「結婚(&引退)」をカミングアウトされました。
時期をずらして知らされた“お相手”は、高校時代の同級生との由。

要するに、デビュー当時から 私が手紙を送る前から/返事を貰う前から「決まっていた」と(笑

その後 周囲(仲間)の動きはめまぐるしかったですね。
当該声優“でない”タレントさんに“亡命”することに皆が躍起。

ファンクラブの会長や 私よりも押しが強かった、男性として魅力的だった(笑)仲間も他の女性タレントさんへの亡命に必死。

憶えている限りで
おニャン子クラブの誰某
本田美奈子
後藤久美子
南野陽子


私も近似の行動をとりましたが、不幸中の幸い(?)私は女性タレントではなくプロレス(当時 新日本プロレスのリング上では格闘技色の強いスタイルのレスラーが体制 ~アントニオ猪木さんなど~ に反旗を翻したり、世代交代を要求したり…)に傾倒していたので露骨な亡命はしなかったような気がします…が、暫定ヒロインは「南野陽子さん」ということにしておきました。

ファンクラブ内での裏切り行為にも遭いました。要するに派閥争いですね。絶対に知っておくべき情報を故意に隠蔽されたこともあります。
また、私はファンクラブの「幹部」でしたが 奸計にはまり(笑)最後の最後で「降格」させられました。
だから当初は自分が勝手に「仲間だ」と思っていた相手であっても 30年近く経った今でも 赦していない人間がいます。会長とかね…

話が前後しますが 当該声優の結婚が開示されてから4ヶ月くらいは 心理的な起伏に悩まされましたね。
私も子供ではありませんでした。
赤ちゃんがコウノトリに運ばれてくるなんて考えているような訳などなくて、結婚したら(当時の男女間の貞操観念では「結婚したら」でしょうね)どんな行為をするのか。
知らないわけがない。裸になって 肌を重ね、性器を絡める…そんなこと 実戦は未経験とはいっても知識(痴識?)としては豊富な年頃ですからね。

そういう 自分ではどうしようもない懊悩から逃れるために「あれか これか」とアイドルタレントさんのつまみ食いのような行為もしました(あ、メインはプロレス観戦でしたので 雑誌をチェックしたり、音楽ディスクを買ったり、大して熱心でもないのにファンクラブに入ったり、といった程度です)。

結果的にどうやって傷を癒やしたのかというと
当該女性声優さんが勝手に不義理を働いてくれた、という一言に尽きるでしょうか。

「結婚したら夫の妻と声優の掛け持ちは出来ない。だから引退します」
と公言していたはずでしたが、3年と経たぬうちに現場復帰。
いろいろ理屈はつけられるでしょう。けれども「引退」を信じて(?) 注ぎ込んだエネルギーのむなしさを感じて「しらけて」しまいました。

その後も当該声優は“お仕事”を継続。幼児番組にも出演しているため、職場では親子ほど年齢差のある同僚との話材に使っています。

相変わらずのブリブリぶり(笑)。
還暦に手が届いているのに“それ”なのですね。
後発の 若くて スキルも意識も高くて 見目形も高水準な方は星の数ほど居るというのに…

再会するとき、どういう顔で会うのだろう どういう声をかけ合うのだろう… そう考えることもあります。

好きで好きで仕方が無かった/嫌いで嫌いでぶっ飛ばしたかった 中学校時代の同級生の影が薄れ 日頃通勤で使っている最寄り駅の改札ですれ違うこともないのに あるとき突然街で鉢合わせになり「よぉ、元気だった?まだこの町に住んでいたんだ…お互い生活リズムが違うと会わなくなっちゃうよな」なんて言葉を交わして そのとき一番大切にせねばならない日常に溶け込んでしまうのかも知れないですね。


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花火大会

散髪にいきました。

頭髪をチョッキンチョッキンしてくれているおばさんと、他愛のない雑談。

「この辺の花火大会っていつでしたっけ?」
「昨日だよ。花桜瑠くん、行きたかったの?」
「いや、ちょっと訊いてみただけです(^_^;)」

こんな会話。

中学校2年生の時を最後にして、夏祭り・盆踊りというのには足を運んだことがない(筈です)。
甥が遊びに来たときに お祭りに連れて行ったのは母だったはず。
そう、中学校3年生 ~受験勉強の真っ最中~ の時分から、夏祭りには行っていないのです。

でも、ときどき思い出してしまう、中学の時の二人のガールフレンドのこと。

初めてのガールフレンドとの営みの方が、重く、息苦しい。

でも 息苦しくしてしまったのは自分に責任がある。12歳~13歳…小学生の延長戦の意識のまま中学生になっていた私が、私よりも意識が大人になっていたガールフレンドを落胆させてしまったのだから。

二人目は
全くタイプが違った娘。
中学二年生になって、多くの学友がそうであったように 背伸びをして、大人ぶって、ちょっと悪ぶるのが「格好良い」と思っていた。
いえいえ
「そうしないと“男子社会”で泳いでいけなかった」
というのが 本当のところでしょう。

そんな中、なんとはなしに見てしまった彼女の裸体。

見てしまったことがバレたわけではないのに、私は妙に責任を感じて、その娘を意識し、気づいたら好意に変わってしまっていました。

夏休み前の「裏磐梯国民休暇村」でのキャンプ ~林間学校、と云いましたっけ~ でも近づいてしまい、続く夏休みもこまめに逢っていたような気がします。

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二人で待ち合わせて市内の夏祭りに行き、花火大会にも(笑)
こうやって書きだして、振り返ってみると、しっかり恋仲になっていたみたいですね。

年の離れたお兄さんがいました。
「結婚の話が持ち上がって、親御さんの反対に遭って喧嘩になっている」
なんて話を聞いていましたから、10歳近く離れていたのでしょうか。

私と“彼女”で花火を眺めていたところにやってきました。
どうやら「もう遅いから帰ってきなさい」だったのか、事前に所定の時間になったら合流する予定だったのか分かりませんが、とにかく“お兄さん”がやってきて“彼女”を促していました。

「この子、ボーイフレンド?」

私も“彼女”も照れ隠しでクビを横に振るばかり。

でも“お兄さん”に「ボーイフレンド」と疑っていただけて、ちょっぴり嬉しかったのを おぼえています。

振り返って見ると
美人でもない
(失礼ですが)勉強が出来たわけでもない
けれども ちょっと絡み合いたくなるような娘、だったのでしょうね。

元気にしているかな…

夏の終わりが近づいてくると、ついついノスタルジーに浸ってしまいます。

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「てめぇが降りれや!」と喚く生物(なまもの)に快適な環境を提供する必要があるのか?

テレビ朝日「(羽鳥慎一の)モーニングショー」で、さる2月16日、東京メトロ千代田線車内で起きた「女性専用車両に男性客が居座った」出来事が取り上げられ、氏の発言にも注目が集まっていますね。

実はこの番組、見ていました(現在動画サイトを見ても見つからないので「ひびきの高校連絡帳」に“貼る”ことはできません)。

「問題」を提起した3名の男性に対する罵声の洪水。
仕事に遅れるだのなんだのと、耳あたりのいい理由を叫びながら紡ぎ出された言葉は掲題の
「てめぇが降りれや!」
という麗しい言葉。

別のシーンでは「たたき降ろせ!」「降りろ!降りろ!」と連呼する女性客の「お囃子のような」蛮声。

こんな立ち居振る舞いをする生き物の発言のどこに「心ない男性からの強制わいせつ行為に怯懦する大和撫子and/or乙女」の姿を認めろというのでしょうか?

つまるところ「女性専用車両」という名の「似非グリーン車」を「グリーン料金なし」で利用している気の強い女性客の巣窟と化して居るではないですか。

テレビを見ただけではありません。

かつて…2009年頃、友人とレイトショーの映画を見て徹夜で遊び歩き、朝(始発ではありません)の京王線の電車に乗ろうとホームで待っていたことがあります。

八王子方面からホームに入ってくる車両の先頭が「女性専用車両」だったのですが、八王子方面に向かう場合は「女性専用車両」の適用はされていませんでした。

故に、八王子方面から来る先頭車両/八王子方面に向かう最後尾の車両に乗ろうとホームで待っていたわけです。
電車が滑るようにホームに到着し、扉が開く…【夜叉の形相の】女性客が吐き出され、我先にと(私を押しのけようとしながら)足早に改札に向かって歩いて行く…
彼女らのどこに「痴漢におびえる女性」の面影を見いだせというのでしょうか?

唖然として「無人となった」「数分前まで」「女性専用車両」「だった」車両に足を踏み入れたところ、むせかえるような化粧の匂い…

慌てて「最後尾から二番目」の車両に移動しました。

ここ数日ネット内では女性専用車両の合法性や是非について取り沙汰されていますね。
合法か、違法かなんて関係ないんですよ。

もう…ではなくかなり早い段階から、女性専用車両は「本来の用途」としては利用されていないんです。はい、形骸化しているといっても過言ではありません。

男性を去勢する社会システムを 強く女性(の、一部かどうかはどうでもいい)が求めたが故に男性は持っていて当たり前の牙を失ってしまった…または今後後天的に牙を失うことになるでしょう。

その際「輝く女性」に代表されるスローガンを振りかざして男性の領域を侵食した方達と、その同性は、無力(無気力ではありません、無力です)な男性に有象無象の制裁を加えず、受容する義務を負うであろうことを認識してください。

近い将来、刑事ドラマやそれに近似の(ある程度暴力や犯罪を匂わせる)映像作品の中で「【おとこ】こどもの命だけは助けてくれ!/解放してやってくれ!」という台詞が当たり前のように使われ、レッド、ブルー、ブラック、グリーンが女性、ピンクが男性で編成される戦隊ヒーローが当たり前に子供社会に息づき、おもちゃ売り場を賑わす時代が来るのではないかと本気で心配しています。

…女性専用車両(を利用している女性客)に向けられるのは、労い・憐れみ・羨望のまなざしではなく、侮蔑の視線だということも知っておいていただきたい。都合のいいときだけ弱者の仮面を被り、権利・安全・地位が保障されれば聞くに堪えない声色とおぞましいボキャブラリーを惜しげも無く駆使してキーキー騒いでいる牝猿の要求など受容できますか?
少なくとも件の映像の中で発言していたバカ娘達が痴漢被害に遭う構図など、逆立ちしても想像できませんよ。

【ダメ押しです】
2018(平成30)年2月17日14時27分頃、電車内で「ヤスリを取り出し」「ネイルを磨く」「若い女性の乗客」と隣り合いました。
粉状になった「爪(のカス)」が当該女性の膝の上に置いてあったスマートフォンの画面を真っ白にしていましたし、本人には気づけなかったものの、現実として空中に舞っていた「爪の粉」が太陽の光に照らされてキラキラと輝いていました。
注意しようか/苦情を言おうかとも思いましたが 顔をおぼえられて「後日痴漢冤罪のカモにされてはかなわない」との懸念を抱いたため 黙ってしまいました。

私の発想、言動が多くの男性に共通したスタンダードだとはいいません。
けれども「云うべきかもしれないという意識とパッケージで即時に(報復を恐れて)躊躇する」という「思い癖」の発露・萌芽が認められるではないですか?

オリンピックから凱旋したカーリング女子に注目が集まるのを嫌悪している市井の女性がいるようですね・
やりたい放題、喚きたい放題を止められない風潮が確立したから、気の向くままに「自分たちよりも注目を浴びる女性」にまで牙をむく。
男性諸兄の牙を折るに飽き足らず、今度は共食いまで始めてしまうのですね。

げに女性というのは醜い性(せい)ですね。

合掌

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昭和55年10月2日

忘れてはならない日

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37年前の赤い糸【3-3】

~ もう、忘れていたみたいだから、いいよ… ~

彼女の誕生日は、冬休み期間にあった。
だからといってそれが理由に出来るわけではない。私は彼女の誕生日にプレゼントを届けられなかった。
プレゼントのタイミングを遅らせる/遅らせざるを得ない理由はいくらでもつけられた。
まだまだ子供だったのだから。行動は家族(親)に随分制約されていた。
中学校1年生の冬休みである。今はどうなのか知る由もないが、当時はそれなりのボリュームの宿題があった。また年賀状を書き、年末年始の「家族行事」に家族帯同で行動することも必須。だから理由と云えば理由になったが 理由にならないといえば「そんなの、理由にならなかった」。私自身、そう思っている。

私は冬休みが明けた3学期の初日に誕生日のプレゼントをした。これで“負債の消し込み”はできた、と思った。

けれども 翌朝学校の靴箱に入っていた手紙を見て、自分の至らなさを思い知らされた。

「もう忘れていたみたいだから」

釈明すればよかったのかもしれない。
謝罪すればよかったのかもしれない。



精いっぱいの虚勢を張るのなら
「ボーイフレンド/ガールフレンドの関係から、仲の良い同級生に戻った」
ということになるのだろう。

大人となった今、甘美な記憶をひも解くにつけ、そう思うが当時はそんな気持ちを抱けなかった。ほかにも学友との付き合いがあり、好奇心の対象も、学校から課される課題も山積だった。
そして3学期は終わってクラス替え。

2人の絆は風化し、霧消した。

あれから37年。
私が知り合った友人・知人の誕生日や記念日を忘れず、祝辞を送ったり話題に出す遠因は“彼女”を傷つけた、寂しい思いをさせたことに対する贖罪の意識にある。

そして 毎年とは言わないものの 夏が来ると ~近隣の商業施設でマネキンが水着や浴衣を纏い始める時期がやってくると~ 私の心は地獄の業火に焼かれることになる。プール遊びをして、お弁当を独り占めさせてもらったあの夏を思い出して。

体調を幾重にも壊し、気付かぬうちに人並より速いペースで死期を迎えようとしているのかもしれない、いまの私。

就寝していると、浅い眠りの中で見る夢の中に 昔の友人・知人・学友・恩師…多くの人々が現れる。
その中で最も忘れ難く、またもっとも穢したくない“こよなく懐かしい人”が彼女であることに疑問の余地はない。

逢いたいと考えたときもあった。とある事情で、2000年の春ごろにその思いは強くなった(が、その事情については本稿では割愛する)。

同時にあれこれ自問自答した。

中学2年のときの私は彼女を求めたのか?
高校受験のとき、彼女を励ましたのか?また、励まされたのか?
高校1年生の夏休み前、下校の電車内で再会した時に手を掴み、引き寄せ、抱擁したのか?
大学生活で学友とトラブルを起こしたとき、彼女に癒しを求めたのか?
社会に出てから 婚姻に発展しそうな、或いは発展させたくなるような異性に出会った時、それを躊躇させるほどに彼女の存在は重く鎮座していたのか?

人生の節目節目で 

「彼女はいなかった/意識の中になかった」

なぜ、これほどまでに彼女の記憶に執着するのかもなんとなくわかっている。しかしその気持ちに忠実に「今、行動すれ」ば、間違いなく地獄が開門する。



この2週間、著しく体調を崩し、あれこれ考え込む中で
「彼女は私という名の歴史の教科書の1ページに息づく歴史上の人物のようなもの」。
そう結論付け、自分自身に言い聞かせることで、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「久しぶりに子供時代に大切にしていたおもちゃ箱を開けてみたら、お気に入りの玩具に再会し、当時の心境に戻って戯れているのと同じ感覚なのではないのか」と、少々辛辣に自らを戒めてはいる。

けれども

「もう思い出すことはない」とは言えない。吹っ切れたとも言えない。
毎年とは明言しないものの、私の卓越した記憶力は私自身をこれからも苦しめるに違いないが、その苦しみを受け続けることが贖罪の一部だと思うようにしている。

いつか 美しい and/or 可愛らしい記憶のポートレイトとして フォトフレームの中で掛け値なく輝いてくれる想い出に昇華してくれるときが来ることを願いながら、気持ちの整理を続けていきたいと思う。

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37年前の赤い糸【2-3】

~ I like you. きみが好きです ~

私は中学校1年生 ~誕生日を迎える前だったので12歳~ の時に初恋をした。
幼稚園児が無邪気に「〇〇ちゃん、好き」と口にする次元ではなく手を繋いだり抱擁、キス、性的交歓の対象として意識した相手であり片想いではなく初めての(年齢相応の)お付き合いをしたガールフレンド、との営みを指して“初恋”と云わせて頂いた。

発端は1980年の夏。1学期の後半だった。
2年次&3年次の担任となる国語科教諭、(イニシャル)E.S先生が産休を取られたために 我々のクラスの国語授業を受け請ってくれたY.A先生。 1学期後半からの受け持ちであり、2学期にはE.S先生が戻ってくることが確定しており、夏休みに有志で「さよならイベント」をすることになった。
男女各々3名で、生活圏にあるレジャープールに遊びに行ったのだが、そこで私は初めてのガールフレンドとなるN.Sさんと、複数の意味で「あつい」時を過ごしてしまった。
女子生徒3名は思い思いにお弁当を作ってきていた。記憶が定かではないが男子3名はお弁当を用意していなかった。おそらく事前に“そういう取り決め”がなされていたのだろう。37年も前の話なので、記憶の一部が欠落しているのはご容赦いただきたい。
普通に考えれば「女子生徒3名が作ってきたお弁当を、当たり障りなく皆で分け合って」食べるのが作法だったのだろうが、私は無意識に“彼女”が作ってきたお弁当(おにぎり)だけを1人で(厳密には“彼女”と2人で)食べてしまった。
自分はそれほど深く意識はしていなかったが、あの時代から“同年齢であれば女性の方が大人/おませ”と相場が決まっている。残る2人の女子生徒(或いは残る2人の男子生徒)から「この二人、怪しい」と目をつけられたとしてもやむを得ないことだった。

今となっては可愛いものだが“彼女”はまだ12歳、中学校1年生の夏を迎えた少女としては発育がよろしく、性的な知識に疎かった私にとっても「ドキリ」とする容姿だった。
第二次性徴を迎える前の幼い“男の子”から脱却できてはいなかったものの、水と戯れる水着姿の彼女を見て、心も身体も熱くなっていくのを禁じ得なかった。
イベントが終了し、Y.A先生を電車の中で見送り、私と“彼女”、その他4名は最寄駅で降りたった。
意識したわけではなかったが、そのまま帰宅することはせずに駅と直結していた商業施設内で「マンガの立ち読み」。今のようにコミック(単行本)にビニル包装やシュリンク処理がなされていなかった時代。ふたりで「銀河鉄道999」を立ち読みした。
夏休みに具体的な動きはなかったものの、2学期の学校行事であるハイキングでは「グループ分け」を無視して2人で行動した。当時の中学生の間ではトレンドになっていたゲータレードなるスポーツドリンクの水筒を回し飲み ~周囲からは「間接キスだ」と囃し立てられた~ をしてしまった。
お互いに文化部(所属は開示しない)所属だった我々。
二人きりでの下校。野球部やサッカー部の学友の目にはバレバレで、よく囃し立てられ、からかわれた。
けれども当初の2人は、自分の感情に素直に行動していたと思う。
二学期の後半に当たる時期に、奇しくも2人の誕生日があった。さらに…幸か不幸か私の誕生日の方が「先にやってきた」。
2人で下校する道すがら、“彼女”から「誕生日のプレゼント、なにがいい?」的な質問を受けたと思う。
当時私はまだまだ子供だった。「鉄人28号(1980年10月3日スタートのアニメ作品)の〇〇が欲しい」的なことを言ってしまい、“彼女”を困らせてしまったみたいだ。

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なにはともあれ、私は誕生日にバースデーカードや文具などをプレゼントされた。

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狭い…当時高校生だった姉と共用していた“勉強部屋”での幼い交歓。
互いに「体育座り」をして、コミック本を読んで他愛のない会話をしただけだった。
勿論、その日を迎える以前から、気持ちは火照っていた私は、プレゼントへの答礼を兼ねた手紙の中で 13歳を迎えた少年(児童?)としては精いっぱいの告白をした。

バースデーカードに書き込まれていた“I LiKE YOU !”のメッセージに応えるように…
「キミが好きです / I like you.」

答えはYesだった。

当時は想いが届いたことに嬉しい戸惑いを抱いたことを憶えている。

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37年前の赤い糸【1-3】

~ お誕生日おめでとうございます ~

もうじき齢(よわい)50になる。決して大勢とは呼べないものの友人・知人にも恵まれている。“親友”と呼べるほどに濃い付き合いの方と云うのはそれほどに居ないものの、私が窮地に立たされた時に連絡をとったり、叱咤(・激励)してくれた方もいる。

そういう“お付き合いの濃淡”によって少々異なりはするが、私は多くの友人知人の誕生日を憶えている。そしてほとんどの場合、祝辞をメール乃至電話で伝えている。

こういうアクションを起こすと、素直に喜んでくださる方もいるし、困惑する方もいる。
「なんでそんなことを憶えているんだ?/憶えているの?」
「まるで“林家ペー”だね」

林家ペーなる人物がなぜ引き合いに出されるのか、私にはわからない。
どうやら林家ペーという人は、人様(ひとさま)の誕生日や〇〇記念日のように、無駄にアニバーサリー属性の日を憶えているかららしいが 真偽は確かめていない(wikiで調べればいいのに、怠惰から実行していない)。

私が人様の誕生日を完璧に近似の精緻さで覚えているのにはいくつかの背後事情がある。
一つには記憶力がいいこと
「ひびきの高校連絡帳」をスタートさせてもうじき8年になる。そのテーマの大部分には古今東西のアニメや特撮作品のエピソードや薀蓄話を織り交ぜている。
私はその殆どを記憶していて、文章として起稿するに当たり、錯誤を限りなくなくすためにネットで情報を精査する。その程度にしかネット内の情報源・データベースには触れていない。
勿論娯楽属性のコンテンツのみならず、学問(と、云うより学校での“おべんきょう”で要求される暗記という技能)についても、記憶力は遺憾なく発揮されて 私を助けてくれている。
私は物覚えが好いとは思うが、賢いとは思っていない。
なにはともあれ、それほどに記憶力には自信があると同時にこの記憶力の良さを負担に感じていている次第。
誕生日を憶えている背後事情の二つ目。
これは偏に「仲良し」だから。

自分が「仲良し」だと思っていたり「慕っている」というふうに立居振舞を見せても、お相手との間に感情や友好度の温度差がある場合は困惑される。
けれども「大切にしたい友人・知人だから“覚えた誕生日は忘れない”」。
とはいえ「お誕生日おめでとうございます」といった主旨の発信をした相手から、自分の誕生日に答礼が来ないときには ~ほとんどがそんな感じだが~ 寂寥感もひとしおである。
けれどもこの“寂寥感”については、一生背負っていかなければならない感覚なのだと自らに言い聞かせている。
それが三つ目の背後事情にも繋がっているのだから。

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ポプラ通りの家

毎年この季節になると、胸が苦しく、また苦々しい感覚に襲われます。

理由は…自らの至らなさが招いた「初めての恋の終わり」を思い出すから。

「初恋」と表現しなかった理由ですが、得てして初恋は「片想い」と混同されがちな単語、という印象が払拭できないからです。
私の初めての恋は中学校1年生のときの出来事として、ソフトフォーカスの向こうで 未だに淡い輝きを放っています。

体育の教科担任(♂)をして「いい女」といわせしめた少女。
12歳にして“おんな”の色香を醸し出す容姿の持ち主…だったようです。

しかしながら当時はまだ“こども”だった私は、クラス公認のボーイフレンド、ガールフレンドの関係を構築したにも関わらず、乙女心を理解することも感じることもせず…否、避けてしまい、周囲に対する照れもあって“大切な季節”が凍りついていくことを阻止できなかった。

中学校2年生のクラス替え、中学卒業&高校進学、その後 人並みに生きていれば自然と訪れたであろう別離ではあるでしょう。

でも、私の場合は照れと感性の未熟さから、図らずも別離の引き金を自ら弾いていた。

長い時間…36年の歳月を要しましたが、漸く吹っ切れたようです。

もう互いが心身両面and/orいずれかで重なり、交わることもない記憶の1ページ。

吹っ切れたからといって、私にはもう“飛躍”する翼はないけれども…忘れがたい、でも当時のように“感じる”ことができない記憶として、心の奥にリボンをかけてしまい込むことにしました。
ポプラ通りの家」。アニメ「キャプテン フューチャー」のED曲でした。記憶のかなたにある淡い恋模様を回想する男の心情を見事に歌い上げていると思います。甘美なメロディと共に、過度に美化されてしまった記憶に封印を…します。
欲でした

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【ウエディングビジュアル入手記念】幻想-1

扉の向こうの喧騒が、大きな波動になってボク達を圧迫している…

懐かしい学友たちの声、校歌を放歌する仲間…

傍らで戸惑ったように身を強張らせているウエディングドレス姿の花桜梨の肩をそっと抱き寄せる…

花桜梨「あの…いいのかな? わたしたち…」

1
高校時代、賑やかな場所は苦手と云っていた花桜梨… “性分”というのは数年で変わるものでもないし、変わってほしいものでもなかった…

でも、今日は特別だ…

〔おーい、おめぇらーっ! そろそろ始めるぞぉっ!〕

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扉の向こうの大広間で、マイクを介して漏れ聞こえてくる声の主は、在学中の三年間、生徒会長を務めた…赤井ほむらさん…だろう…神社の捨て猫 ~シロ、クロ、ブチ~ への餌遣りが原因で遅刻の常習犯となっていた花桜梨を“取り締まっていた”鬱陶しい存在だった。

けれども遅刻の理由を知ってからは積極的にボクらの、否、花桜梨の協力者になって猫の“里親探し”に奔走してくれた、男勝りの女子生徒だった。

ボク「いいとか悪いとか考えることはないよ。今夜はボク達が…いや、八重さんが主役なんだからね」
いい終わらないうちに困惑した表情でボクを見上げる花桜梨
花桜梨「あの…もう…八重さんじゃ、ない…んだけど…」

そういうとボクのタキシードの袖口を不満そうに絞り込んでくる。
ボク「いいんだよ、八重さんって云う方がしっくりくるから」

…半分本当で、半分は嘘。

ボクも花桜梨も古風な倫理観を尊重している。だから世間で女性たちがどう喚こうと、結婚したらどういう風に振舞うかは口にせずともわかっていた。

〈でも…今夜は“八重さん”でいいな〉
改めてそう思いながら、花桜梨のドレス姿に見ほれてしまう。

〔貴様ら!なにをもたもたしているのだ!? とっとと会場に入らぬか!〕

Photo
横柄な物言いに振りかえれば、そこにたたずんでいたのは会場を提供してくれた伊集院家の令嬢、伊集院メイ…さんだった。

「いい…よ…私、賑やかなの、苦手だし…」

力なく項垂れるボクを慰めるような物言いの花桜梨…

テーブルには数種類の結婚情報誌…

挙式、披露宴に捻出できるゆとりなど、ボクにはなかった…

でも…花桜梨にとっては女性として最も輝ける瞬間であるはずだった…自分を選んでくれた女性(ひと)を輝かせることのできない、甲斐性の無い自分が情けなく感じられた…

それから数日後

懐かしい声が電話の向こうから飛び込んできた

陽ノ下光。ほかでもない、ボクの幼馴染。
〔結婚するんだってぇ? おめでとぉ… でね、花桜瑠くんのことだから…〕

さすが光。ボクの“事情”を適確に把握していた。
それがある意味耳障りであり、不快でもあった。

「あのさ、ボクに何が言いたいのさ!?」

結婚式も挙げられないボクを非難しているのだろうか、そんな被害妄想がつい、語気を荒げさせる。勿論光に非はない… 自分が情けないだけ…

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〔うんうん! キミなら怒ると思ってた! でも、これはキミたちにとっていい話なんだぞ!〕
明るい表情で言葉を紡ぎ出す光… その内容に、ボクは燭光を見出した気分になった…



隣町にある「私立きらめき高校」の経営に携わっている伊集院財閥。その財力は庶民の感覚を著しく逸脱している。

ボク達の結婚を耳にした純や匠が、伊集院さんに掛け合ってくれたらしい。

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会場のみならず、衣裳の提供、挙式とパーティーの企画、参加者への連絡…

当日、花桜梨のマンションの前に滑り込むようにしてやってきたのは伊集院家の擁するリムジンだった… 家の執事と思しき初老の男性が恭しくボク達に乗車を促す…
高校3年生のクリスマスパーティー以来となる伊集院邸への訪問…

〔新婦様はこちらへ〕
紅いカーペットの敷き詰められた回廊の左右を、数えきれないほどのメイドさんたちが埋め尽くしていた… 戸惑い、ボクの方を振り返り振り返りしつつもメイドさんに促されてドレスアップルームに姿を消す花桜梨…
ボクはただ彼女を見送るしかなかった…

〔ささ、新郎さんも〕
件の“執事”がボクを別の部屋に促す…



ボク「花桜梨…なの?」

花桜梨「花桜瑠、くん…おかしくない? 似合っている、かな…?」

眩いばかりのウエディングドレスに身を包み、頬を桜色に染めてボクを見上げる花桜梨…
その変貌ぶりにボクは感嘆の溜息を禁じえなかった…

ボク「伊集院さん、ホントに、いいの?」

今さらながらに事の重大さに気づいたボクは不謹慎にも“裏”がないかと後輩を訝った。

室内に響く金属音…
伊集院さんの護衛たちが携える銃火器の砲口がボクを狙っている…ものの、彼らの表情は穏やかだ…
“つまらないことは訊くな”と云わんばかりの気配に苦笑しかけた刹那

〔や~え~さんっ 綺麗だよっ、うん!〕
甘えたような声の、懐かしい顔が…

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花桜梨「佐倉、さん…来てくれたんだ…」
花桜梨が高校時代、心を開いた数少ない友人、佐倉楓子さんが駆けつけてくれた…
〔花桜瑠さんっ、奥さんの身の周りのお世話は私がしますから!〕
在学時代のまま、小動物のようにふるまう旧友の所作に破顔し、謝意を表して軽く会釈する…

〔いいかおめぇら!あんまり騒がしくするんじゃねぇぞ! これから新郎新婦のお出ましだからな!〕

〈一番騒がしい人が、なにを云っているんだか…〉

扉の向こうから響く 赤井さんの相変わらずの蛮声にクスッと笑ってしまう…

〔それでは私も会場で待たせてもらう。貴様!花嫁をしっかりエスコートするのだ!〕
いい終わらないうちに ~別の通路を使うのだろう~ 伊集院さんも会場を目指して踵を返していった…

楓子「それじゃ、行きますよ! 扉、開けますね!」

佐倉さんを介助するように、メイドさんが扉の取っ手に手をかける
それまでくぐもっていた喧騒が明瞭になって耳に飛び込んでくる…
懐かしい友人の声
きらびやかなシャンデリアに照らし出された広間

そして…

〔おめでとう! 花桜瑠くん、八重さ…ごめん、花桜梨さん♪〕

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花桜瑠 / 花桜梨「華澄お姉ちゃん♪ / 麻生先生…」

広間の入り口で迎えてくれた恩師、肩越しに飛び込んでくる旧友の顏、顔…

手に手を取って、一歩を踏み出す…

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咲遅れの桜が満開になった瞬間…

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【加筆版?】35年前の記憶

父がアルツハイマーと診断されました。

残念ですがこれが人間としての営みの一つなのでしょう。
通院させ、投薬してもらい、一応の気遣いはしていますが喧嘩をするときは喧嘩してしまう。

先日は私が大切にしていた書物を捨てようとしていて、慌てて引留め、言葉でぶん殴ってやりました。

中学時代になけなしの小遣いで購入したアニメ関連のムック本が殆ど。
検品・安全確認を兼ねてページをめくっていると一枚の写真が… 中学校2年生の時のガールフレンドの写真。

付き合っていたというには幼すぎたし不器用だった。
互いに憎まれ口をきいたり「家庭科の調理実習で作って失敗(?)したサンドウィッチ」を食べさせられたこともあった。

最後は 残念だけれども喧嘩別れでした。


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でも35年も経った今 特別に憎悪を抱いているわけでもなく、素直に「懐かしい」「あのころは可愛らしい(幼い)男女だったのだな」と軽くため息をつき、ククッと笑いながら写真を見つめています

「機動戦士ガンダム」に登場したフラウ・ボゥに少し似ていたところがあった少女。



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夏の林間学校が近づいた1学期の ある日、あくまでもハプニング(故意ではない、と同義)でしたが彼女の裸体を見てしまいました。

元気で過ごしているのだろうか?

いや、私と喧嘩別れして正解でしたよ(笑) 
今の私はその後「7人の侍」に傷つけられまくって三次元女性に対しては猜疑心が先行する男に変質してしまいましたから(^_^;)

息災でありますように。あのころ、あの日に戻れないと頭では理解しつつ 「忘れ難し」…

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