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2017年6月

ヘルプマーク初陣

6月26日(月曜日)に入手した「ヘルプマーク」。

6月27日(火曜日)の通勤の際にバッグにつけての初陣となりました。
拙宅から勤務先までは交通至便であり、また電車内の混雑具合も低いため、殆ど着座可能。分からず屋の上席従業員への牽制として使用しましたが もめごとには発展しなかったため「役立たず」。

ついで6月28日(水曜日)に都内に出かける用事があったのですが こちらは「効果覿面」?だったようです。

別に甘やかされた印象はありませんが、電車内にて着座する際に些少ですが気配りを頂けました。
マタニティマークをつけている女性が見ず知らずの方から辛く当たられる、的な話題を耳にしたことがあるのでヘルプマークも同じかなと心配していたんですが まずはクリアといったところでしょうか。

やはりやせ我慢で頑張れるところとそうでないところがありますからね。ちょっぴり役に立つお守りを入手できたようで 安堵しています。

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ヘルプマークを入手しました

骨折から二年以上が経過。

改善の有無に関係なく年内でリハビリも打ち切りのようです。

実際、日常生活では不自由が発生していますので 昨日都内に出かけたので「ヘルプマーク」を頂きました。

怪我の事実、障害の真偽を疑う上位職位者まで現れたので、消極的アピールとしてつけることにしました。

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後日加筆の可能性がありますが、取り急ぎ開示いたします。

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37年前の赤い糸【3-3】

~ もう、忘れていたみたいだから、いいよ… ~

彼女の誕生日は、冬休み期間にあった。
だからといってそれが理由に出来るわけではない。私は彼女の誕生日にプレゼントを届けられなかった。
プレゼントのタイミングを遅らせる/遅らせざるを得ない理由はいくらでもつけられた。
まだまだ子供だったのだから。行動は家族(親)に随分制約されていた。
中学校1年生の冬休みである。今はどうなのか知る由もないが、当時はそれなりのボリュームの宿題があった。また年賀状を書き、年末年始の「家族行事」に家族帯同で行動することも必須。だから理由と云えば理由になったが 理由にならないといえば「そんなの、理由にならなかった」。私自身、そう思っている。

私は冬休みが明けた3学期の初日に誕生日のプレゼントをした。これで“負債の消し込み”はできた、と思った。

けれども 翌朝学校の靴箱に入っていた手紙を見て、自分の至らなさを思い知らされた。

「もう忘れていたみたいだから」

釈明すればよかったのかもしれない。
謝罪すればよかったのかもしれない。



精いっぱいの虚勢を張るのなら
「ボーイフレンド/ガールフレンドの関係から、仲の良い同級生に戻った」
ということになるのだろう。

大人となった今、甘美な記憶をひも解くにつけ、そう思うが当時はそんな気持ちを抱けなかった。ほかにも学友との付き合いがあり、好奇心の対象も、学校から課される課題も山積だった。
そして3学期は終わってクラス替え。

2人の絆は風化し、霧消した。

あれから37年。
私が知り合った友人・知人の誕生日や記念日を忘れず、祝辞を送ったり話題に出す遠因は“彼女”を傷つけた、寂しい思いをさせたことに対する贖罪の意識にある。

そして 毎年とは言わないものの 夏が来ると ~近隣の商業施設でマネキンが水着や浴衣を纏い始める時期がやってくると~ 私の心は地獄の業火に焼かれることになる。プール遊びをして、お弁当を独り占めさせてもらったあの夏を思い出して。

体調を幾重にも壊し、気付かぬうちに人並より速いペースで死期を迎えようとしているのかもしれない、いまの私。

就寝していると、浅い眠りの中で見る夢の中に 昔の友人・知人・学友・恩師…多くの人々が現れる。
その中で最も忘れ難く、またもっとも穢したくない“こよなく懐かしい人”が彼女であることに疑問の余地はない。

逢いたいと考えたときもあった。とある事情で、2000年の春ごろにその思いは強くなった(が、その事情については本稿では割愛する)。

同時にあれこれ自問自答した。

中学2年のときの私は彼女を求めたのか?
高校受験のとき、彼女を励ましたのか?また、励まされたのか?
高校1年生の夏休み前、下校の電車内で再会した時に手を掴み、引き寄せ、抱擁したのか?
大学生活で学友とトラブルを起こしたとき、彼女に癒しを求めたのか?
社会に出てから 婚姻に発展しそうな、或いは発展させたくなるような異性に出会った時、それを躊躇させるほどに彼女の存在は重く鎮座していたのか?

人生の節目節目で 

「彼女はいなかった/意識の中になかった」

なぜ、これほどまでに彼女の記憶に執着するのかもなんとなくわかっている。しかしその気持ちに忠実に「今、行動すれ」ば、間違いなく地獄が開門する。



この2週間、著しく体調を崩し、あれこれ考え込む中で
「彼女は私という名の歴史の教科書の1ページに息づく歴史上の人物のようなもの」。
そう結論付け、自分自身に言い聞かせることで、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「久しぶりに子供時代に大切にしていたおもちゃ箱を開けてみたら、お気に入りの玩具に再会し、当時の心境に戻って戯れているのと同じ感覚なのではないのか」と、少々辛辣に自らを戒めてはいる。

けれども

「もう思い出すことはない」とは言えない。吹っ切れたとも言えない。
毎年とは明言しないものの、私の卓越した記憶力は私自身をこれからも苦しめるに違いないが、その苦しみを受け続けることが贖罪の一部だと思うようにしている。

いつか 美しい and/or 可愛らしい記憶のポートレイトとして フォトフレームの中で掛け値なく輝いてくれる想い出に昇華してくれるときが来ることを願いながら、気持ちの整理を続けていきたいと思う。

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37年前の赤い糸【2-3】

~ I like you. きみが好きです ~

私は中学校1年生 ~誕生日を迎える前だったので12歳~ の時に初恋をした。
幼稚園児が無邪気に「〇〇ちゃん、好き」と口にする次元ではなく手を繋いだり抱擁、キス、性的交歓の対象として意識した相手であり片想いではなく初めての(年齢相応の)お付き合いをしたガールフレンド、との営みを指して“初恋”と云わせて頂いた。

発端は1980年の夏。1学期の後半だった。
2年次&3年次の担任となる国語科教諭、(イニシャル)E.S先生が産休を取られたために 我々のクラスの国語授業を受け請ってくれたY.A先生。 1学期後半からの受け持ちであり、2学期にはE.S先生が戻ってくることが確定しており、夏休みに有志で「さよならイベント」をすることになった。
男女各々3名で、生活圏にあるレジャープールに遊びに行ったのだが、そこで私は初めてのガールフレンドとなるN.Sさんと、複数の意味で「あつい」時を過ごしてしまった。
女子生徒3名は思い思いにお弁当を作ってきていた。記憶が定かではないが男子3名はお弁当を用意していなかった。おそらく事前に“そういう取り決め”がなされていたのだろう。37年も前の話なので、記憶の一部が欠落しているのはご容赦いただきたい。
普通に考えれば「女子生徒3名が作ってきたお弁当を、当たり障りなく皆で分け合って」食べるのが作法だったのだろうが、私は無意識に“彼女”が作ってきたお弁当(おにぎり)だけを1人で(厳密には“彼女”と2人で)食べてしまった。
自分はそれほど深く意識はしていなかったが、あの時代から“同年齢であれば女性の方が大人/おませ”と相場が決まっている。残る2人の女子生徒(或いは残る2人の男子生徒)から「この二人、怪しい」と目をつけられたとしてもやむを得ないことだった。

今となっては可愛いものだが“彼女”はまだ12歳、中学校1年生の夏を迎えた少女としては発育がよろしく、性的な知識に疎かった私にとっても「ドキリ」とする容姿だった。
第二次性徴を迎える前の幼い“男の子”から脱却できてはいなかったものの、水と戯れる水着姿の彼女を見て、心も身体も熱くなっていくのを禁じ得なかった。
イベントが終了し、Y.A先生を電車の中で見送り、私と“彼女”、その他4名は最寄駅で降りたった。
意識したわけではなかったが、そのまま帰宅することはせずに駅と直結していた商業施設内で「マンガの立ち読み」。今のようにコミック(単行本)にビニル包装やシュリンク処理がなされていなかった時代。ふたりで「銀河鉄道999」を立ち読みした。
夏休みに具体的な動きはなかったものの、2学期の学校行事であるハイキングでは「グループ分け」を無視して2人で行動した。当時の中学生の間ではトレンドになっていたゲータレードなるスポーツドリンクの水筒を回し飲み ~周囲からは「間接キスだ」と囃し立てられた~ をしてしまった。
お互いに文化部(所属は開示しない)所属だった我々。
二人きりでの下校。野球部やサッカー部の学友の目にはバレバレで、よく囃し立てられ、からかわれた。
けれども当初の2人は、自分の感情に素直に行動していたと思う。
二学期の後半に当たる時期に、奇しくも2人の誕生日があった。さらに…幸か不幸か私の誕生日の方が「先にやってきた」。
2人で下校する道すがら、“彼女”から「誕生日のプレゼント、なにがいい?」的な質問を受けたと思う。
当時私はまだまだ子供だった。「鉄人28号(1980年10月3日スタートのアニメ作品)の〇〇が欲しい」的なことを言ってしまい、“彼女”を困らせてしまったみたいだ。

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なにはともあれ、私は誕生日にバースデーカードや文具などをプレゼントされた。

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狭い…当時高校生だった姉と共用していた“勉強部屋”での幼い交歓。
互いに「体育座り」をして、コミック本を読んで他愛のない会話をしただけだった。
勿論、その日を迎える以前から、気持ちは火照っていた私は、プレゼントへの答礼を兼ねた手紙の中で 13歳を迎えた少年(児童?)としては精いっぱいの告白をした。

バースデーカードに書き込まれていた“I LiKE YOU !”のメッセージに応えるように…
「キミが好きです / I like you.」

答えはYesだった。

当時は想いが届いたことに嬉しい戸惑いを抱いたことを憶えている。

こちらをクリックすると“37年前の赤い糸【3-3】”にジャンプします。

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37年前の赤い糸【1-3】

~ お誕生日おめでとうございます ~

もうじき齢(よわい)50になる。決して大勢とは呼べないものの友人・知人にも恵まれている。“親友”と呼べるほどに濃い付き合いの方と云うのはそれほどに居ないものの、私が窮地に立たされた時に連絡をとったり、叱咤(・激励)してくれた方もいる。

そういう“お付き合いの濃淡”によって少々異なりはするが、私は多くの友人知人の誕生日を憶えている。そしてほとんどの場合、祝辞をメール乃至電話で伝えている。

こういうアクションを起こすと、素直に喜んでくださる方もいるし、困惑する方もいる。
「なんでそんなことを憶えているんだ?/憶えているの?」
「まるで“林家ペー”だね」

林家ペーなる人物がなぜ引き合いに出されるのか、私にはわからない。
どうやら林家ペーという人は、人様(ひとさま)の誕生日や〇〇記念日のように、無駄にアニバーサリー属性の日を憶えているかららしいが 真偽は確かめていない(wikiで調べればいいのに、怠惰から実行していない)。

私が人様の誕生日を完璧に近似の精緻さで覚えているのにはいくつかの背後事情がある。
一つには記憶力がいいこと
「ひびきの高校連絡帳」をスタートさせてもうじき8年になる。そのテーマの大部分には古今東西のアニメや特撮作品のエピソードや薀蓄話を織り交ぜている。
私はその殆どを記憶していて、文章として起稿するに当たり、錯誤を限りなくなくすためにネットで情報を精査する。その程度にしかネット内の情報源・データベースには触れていない。
勿論娯楽属性のコンテンツのみならず、学問(と、云うより学校での“おべんきょう”で要求される暗記という技能)についても、記憶力は遺憾なく発揮されて 私を助けてくれている。
私は物覚えが好いとは思うが、賢いとは思っていない。
なにはともあれ、それほどに記憶力には自信があると同時にこの記憶力の良さを負担に感じていている次第。
誕生日を憶えている背後事情の二つ目。
これは偏に「仲良し」だから。

自分が「仲良し」だと思っていたり「慕っている」というふうに立居振舞を見せても、お相手との間に感情や友好度の温度差がある場合は困惑される。
けれども「大切にしたい友人・知人だから“覚えた誕生日は忘れない”」。
とはいえ「お誕生日おめでとうございます」といった主旨の発信をした相手から、自分の誕生日に答礼が来ないときには ~ほとんどがそんな感じだが~ 寂寥感もひとしおである。
けれどもこの“寂寥感”については、一生背負っていかなければならない感覚なのだと自らに言い聞かせている。
それが三つ目の背後事情にも繋がっているのだから。

こちらをクリックすると“37年前の赤い糸【2-3】”にジャンプします。

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