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姓名判断?

平成28年ももうじき半ばを迎えますね。気が早いといわれるかもしれませんが、半年後には年賀はがきを購入し、賀状のデザインに悩み、誰に送るか吟味するようになります(笑)

私は一応年賀状を送るリストに従って毎年送る方は殆ど決めており、事情が分からないのに2年乃至3年、お相手から賀状乃至お返事・寒中見舞いがなければ送付することを遠慮するようにしています。

この数年「あなた、あの八重花桜瑠さん/くんですか? 名前、変えたの?」と一言添えられてくることがあります。

平成21年に失業した時…というよりもそれに先立って上司とギクシャクした時に、実家近隣に看板を掲げている僧侶(笑)に人生相談をしました。

要約すると「上司とギクシャクしているのは名前の画数がよくないからだ」といった主旨の指導があったと思います。
私は「そういう世界」は否定しない方なので、一応理解を示しましたがそこからさらにさかのぼった平成15年にも近似の指摘を「別の“業者”」から受けており、画数云々については改善できていると思っていました(要するに印鑑を作って、そのデザインを特殊にすることで“変更の効かない戸籍上の名前”であっても運気を上げる」というものでした。

しかしながら、平成20年の暮れにリストラの気配を感じ、のっぴきならない状況に追い詰められたため、もう一度当該僧侶の許を訪問しました。

結局「画数を変えるために“名前を変えろ”」と。名前を変えるというのは「本郷猛」を「風見志郎」に変えるというのではなく「苗字は固定し」「名前の部分を同音で異なる漢字にする」ということでした。

私のHNでたとえるなら「八重花桜瑠」を「八重嫁緒流」に改めるようなもの。

実際 そのように(本名ベースで)改名をしましたが 結局は平成21年の夏に“クビチョンパ”されてしまいました。

指導(?)をしてくれた僧侶を恨むでなく、それからしばらくの間対話のようなことを平日はほぼ毎日行いました(無料でした)。

別に暴力を振るわれたわけではなかったのですが結構「笑顔とは縁遠い、厳しい佇まいの人物」で、仏様や神様についての知識もそれなりに豊富でしたので 当時は邪気は抱かずに接していました。

しかしながら
「神様・仏様を奉ずる日本人と、別の神様を奉ずる外国人が結婚した場合、自身に影響するのは日本(と、いうか東洋人)が畏怖している神様・仏様なのか、それとも他国の人が畏怖している神様(要はキリストだとかアラーだとかゼウスだとか)なのか?」
と質問したところ回答はありませんでした。

また
「怠惰が理由で死んだ場合は地獄に落ちる」
と言われたので
「本人に就労の意思はあるのに職業に恵まれず、餓死してしまったらどうなるのか」
との質問をした際には「地獄に落ちる」との回答を得ました。
実は当時「職を失い、たくわえがなく、自動車の中に居住し チューブに残留したマヨネーズを“二人で”啜った末に餓死した夫婦」のニュースがあったのです。

私は本人が「生きよう」「生きたい」と望んでいるのに、社会が勝手に蹴飛ばしているのに それを「向こうの世界」の畏怖すべき存在が理解をせず、地獄に落とすという説に釈然としませんでした。

その後ですが、僧侶は「落ちぶれて」地域の信者に「少額のお金を無心しては断られ」を繰り返し、今では消息不明となってしまいました。

結局「僧侶(の現世での)立居振舞だけがいけないのであって、僧侶として発信していた能書きは尊重して良いものだったのか」も分からないままとなってしまいました。

図らずもふたつの名前を持つことになってしまいましたが、別に不便を感じるわけでもないので 自分の都合のいいように名前は使い分けています。
年賀状に「名前、変えたの?」と書き添えてくる人がいますが その翌年の年賀状で(笑)「はい、姓名判断でこちらがいいみたいなんで使い分けました」と書き添えることは稀です。

このブログ「ひびきの高校連絡帳」の管理者としての私の名前はあくまでも八重花桜瑠です。

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