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映画「仮面ライダー1号(2016年3月26日公開作品)」

あまりにも不当な評価を得ているようなので起稿することにしました


私にとってにとって劇場版「仮面ライダー」の鑑賞は「オーズ・電王・オールライダー レッツゴー仮面ライダー」以来。

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それとて「ライダー目当て」ではなく「快傑ズバット」が応援に駆け付けるというから劇場に足を運んだだけ。内容は惨憺たるものだったことを記憶しています。

それ以前では「アギト」「龍騎」「555(ファイズ)」「剣(ブレイド)」「響鬼」を、劇場で鑑賞してきました。

白倉プロデューサーと金田監督という組み合わせに「過去の英雄たちをまた蹂躙するのではないか」という懸念を当初から抱き「Yahoo! 映画」のレビューで評判を気にしながら鑑賞の日を待ち続けてきました。

Yahoo!映画」のユーザーレビューをチェックしていると、懸念している通りの酷評が日々積みあがっていくようで、前売り券を購入した身ではあるものの 鑑賞の是非にすら悩みながら、昨日41日の初回上映に臨んできました。

ところがどっこい(最近は「ところがギッチョン」というみたいですが)、ふたを開けてみたらそれまでの不安というのは霧消しましたし、酷評の一部は「言いがかり」に近似だと感じました。

多くの(「Yahoo!映画」における)酷評属性のユーザーさんが指摘している点は次の通りです。


立花藤兵衛と本郷猛の絆を前提に考えないから、行間を読めない暗愚さの証左としてこんな酷評が出る

【酷評1
本郷猛と立花麻由の描写が援助交際の様。年齢差のある間柄なのに、年少者の麻由が猛を呼び捨てにしている。そして猛がそれを甘受している。

こういう酷評をされる方は「援助交際のなんたるか」をご存じなのですね()?実際援助交際をした?援助交際に応じた?方でないと自信を持って発信できませんよね()

 麻由は「立花藤兵衛の孫」という立ち位置でした。彼女の両親の所在が不明ですが「藤兵衛 - 猛 - 麻由」のラインは麻由の幼少期に何らかの形で構築されていたのでしょう。演者の藤岡さんの実年齢(70歳)を考える必要はない。

勘違いしがちですが、劇中の主人公は「現代の侍 藤岡弘、」ではなくて、あくまでも「改造人間/仮面ライダー1号 本郷猛」ではないですか? 少々不自然ではありますが劇中にて描かれていない時間の中で立花家と家族同様の付き合いを過去にしていたのだとしたら、本郷猛のことを「たけし」と呼ぶお祖父ちゃんに追従して「たけし」と呼び捨てにすることは不自然だとは思えない。「お祖父ちゃんのところに遊びに来ていたおじちゃん(で、後に仮面ライダーその人だと知った人物)」の愛称だと思えば何でもないではないですか?

少なくとも私はそう思いました。

次いで「援助交際の様だ」云々についてですが 劇中の麻由の言葉のイントネーションや表情をくみ取れば、そんなおかしな関係であろうと曲解できるはずがない。

「自分をほったらかしにした“猛(たけしおじさん)”を困らせてやろう」という気持ちの発露としての「3年分の(誕生日の)お祝いをしてよ」だと聞き取りましたし、本郷猛自身は少女への償いの意味も含めて、「今度はなんでも言うことを聞いてやろう(俺の命もそう長くないようだから)」的な動機の発露として振舞ったのではないでしょうか?

別の作品になりますが「暴走特急(原題:Under Siege/1995年作品)」という映画の中でも、ケイシー・ライバック(演:スティーブン・セガール)とサラ・ライバック(演:キャサリン・ハイグル)が、ギクシャクした「叔父さま&姪」を上手に描写したこともあり、それと比較してもことさら「異常だ」と思えるような描写ではなかったと思います。

進化過程の描写が惜しかったが、脳内補完すれば十分に足り、言及するに値しない酷評

【酷評2
ライダー1号のメタボ体型が頂けない。

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これは私もそう感じるところはありましたよ。「仮面ライダーBLACK RX」のような、首と頭、背中の境がなんとなく区別しづらい点もありましたし、これまでの平成作品群への出演の際まで所謂「新1号」のカラーリングであったものが、なぜ突然「旧(“桜島”に近い)1号」のカラーになったのか?

当初は新1号の姿で戦うも力尽き、何らかの力が加わってパワードスーツの様な、ごつごつした1号に究極進化した、という描写であった方が自然だったと“は”思います。

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(↑ こちらが巷間よく言われる「仮面ライダー“新”1号」)


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 (↑ “桜島”1号(写真向かって右側/緑色が強い意匠))

本郷猛の出自を知っているファンであれば出てくるわけの無い“ばかげた言いがかり”

【酷評
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なんで本郷がいきなり城南大学付属高校の特別講師になるのか?本郷猛の講義が素の「藤岡弘、」になっている。


リアルタイムでテレビドラマ「仮面ライダー」を視聴していた人間からすると「ばっかじゃねぇの?」と一蹴できる酷評…言いがかりですね()

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本郷猛は「城南大学 生化学研究室」に籍を置いていました。卒業できたのか否かは判然としない部分もあります。

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V3

しかしながら仮面ライダーV3、風見志郎が本郷猛のことを「先輩」と称していることからも 一応中退せず、卒業できた(学士、修士、博士のどれかは知ったこっちゃありません)のではないか、つまり本郷は博識な“城南大学OB”と解釈・推測できるため、“特別講師”としてやってきたことに違和感はありませんでした。

ただし、そういう「理系」の学生さんであったにも関わらず「命とは」と、所謂“藤岡節”に逸れてしまった点は悔やまれますね。生き物の生態系とか、進化と絡めて生命の大切さに言及したら、違和感を希釈することはできたのかもしれません。これとて全体の尺の中では数分未満。目くじらを立てるような問題を感じませんでした。

(藤岡弘、ではなく)本郷猛の人物像というのは
「理性的な科学者」
「優秀なレーサー」
「熱い闘志をたぎらせた戦士」
のエッセンスが混然一体となっているため、リアルタイムで彼を敬慕してきた人にとっても 熱心に視聴していた時期、耳目にしたエピソードのによって印象が異なるのだと思います。

対象年齢なんか訊いていない

【酷評(?)4
この映画は40代~50代の人がノスタルジーに浸る映画。

「おまけグリコ」の味を訊かれているのに、酸いでも甘いでもなく「これは男の子向けのキャラメルです」と発信しているようなものですよね?

作品そのものの評価ではない。「自分の世代には合わない。おっさんたちが観て喜ぶ映画だ」と言っているだけですよね?

「アンパンマン」について「これは洟垂れ、ションベン垂れのガキが見る映画です。星ひとつで十分」と言っているようなもの。これをレビューとして発信して恥ずかしくないですかね()

本郷、一文字、風見の最初期ライダーの魅力は、悪の組織の陰謀に巻き込まれた一般市民…特に恐怖に震える子供の前で膝を折り、視線をおろし「キミ、もう心配いらないよ。おやっさん!この子を安全な場所へ(匿って)! (そして)ヘンっシンっ!!」というお話の流れが(テンプレートとしてでも)あったこと。子供の空間に駆け付けて子供の目線に降りてきて話しかけてくれたことにあると思っています。
その記憶が我々「オッサン」のDNAにまで染みついているから、何度視聴しても当時の“子どもたち”は彼らの登場に安堵し、ライダーの変身に狂喜したんです。それが「40代後半~50代のオッサン」が体感した風景なんですよ。寧ろそういう体験ができない、記憶に残せない世代を憐れに感じるくらいです。

子どもと触れるシーンが希薄で、なにかあればすぐにガジェットを振りかざし、瞬時に変身してしまう今風のライダーとは重みが違うんですよ(「龍騎」「アギト」など平成ライダーの一部について、そのドラマの重厚性を認めるところはあります)。

【私が「酷評」と感じたのは上記四点…実際にはもう一点ありますが後述します。】

酷評への抗弁というわけではなく、ここからは私が素直に感じたことを記述します。

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【ライダー1号のアクションについて】
「変身ポーズがゆっくりしている(なぜ、敵が“変身”を傍観拱手して見守っているのか)」という声もありました。しかしながら昭和ライダーの特徴である“やられの美学”“タメの美学”を体現していたと理解でき、寧ろ好感が持てました。惜しむらくは変身後のジャンプをオミットして欲しくなかったということ。

またライダー1号というとライダーキック、ライダーチョップが想起できますのに、劇中ではライダーパンチが頻発していました。ここはライダーチョップを披露して欲しかったです。

【《引き立て役》のゴースト勢二人について】
もう少し引き立て役に徹して欲しかったというのが正直なところ。私はゴーストは視聴していないのですが「あのボールの様な物体」をベルト乃至身体のどこかに融合させることで、自分とは異なる歴史上(?)の英雄・偉人のエッセンスを憑依させて、デフォルトの“素体”を強くし、戦いを有利に運ぶことができるのだろうくらいのことは想像がつきました。子供たちへの気配りだったのかもしれませんが、劇中で本郷猛乃至仮面ライダー1号に“やってもらいたい”場面で登場したゴースト勢に「ちょっとキミたち、邪魔だよ!」と云いたくなることが何度かありました。

【本郷猛の再生について】
少々強引な点もありましたが、一般にいまわの際の人間に「呼びかけ」を行うと息を吹き返すというのは“生身の人間”でもありうることのようです。“改造人間”である本郷猛が「心臓は止まっていたけれども肉体は炎に耐えられるほどの強度を保っていた」のであれば あれもいい意味でのお約束だったと思います。

総じて「そう云われれば突っ込めるけど、わざわざ突っ込むほどのことはないよね?」的な【粗】しか感じられませんでした。

ノバ・ショッカーに蹂躙された日本のリカバリーがどうなったのかも気にはなりますが、テレビシリーズでも
「本郷猛/一文字隼人/仮面ライダーの活躍によってショッカーの〇〇作戦は失敗に終わった云々♪」
とナレーションが流れ、画面の隅に「つづく」とテロップされて終わるのはお約束の範疇。ことさらこだわる点ではなかったと思います。

この映画のどこが「ただの宗教映画なのか」

さて、私が最後に残しておいたのが

「出演者の誰もかれもが藤岡さん凄い凄いって…これは宗教映画か/大嫌い」という【酷評】に対する愚見です。詳細はこちらをクリックしてください。

月光仮面などと異なり、前例のない「等身大変身ヒーロー」の先駆けとして自らバイクを駆り、撮影中の事故に遭ってもハンデを克服し 不死鳥のごとく蘇り、45年の長きに亙って息づいている我が国を代表するヒーローコンテンツの礎を築いた人物が 古希を越えた(上映時点)にも関わらず“戦い続ける”姿を傍で目にして、芸能界の青瓢箪が“初日挨拶の舞台に立って”藤岡評を促されたら「藤岡さんすごいすごい」というのは当たり前なのではないでしょうか? と、いうか 舞台挨拶の話でしょう?映画の評価と混同してどうするのですか?
いくら演者が「ろくでなし」だからと言っても私は「ウルトラセブン」という作品が名作であるということまでは否定しない良識は持っていますけれどもね。当該ユーザーは演者の人柄と作品の出来栄えの区別もできないのですか?

なにが「大嫌い」ですか() どこが「宗教映画」ですか?ああそれから…冬に棲息している蛍というのも実在しますからね。しかもショッカーがはびこる世界です。自然界のバランスがいびつになっていることも当然に推測すべきですよね(笑)?一応“文句をつける”ときは裏を取ったほうがいいでしょうね()

次の仮面ライダーの敵は「藤岡弘、大っ嫌い教」の信者でしょうね()


おやっさん…一緒に行こうね…

今回の映画、涙もろい(私は「プリキュア」の映画を観賞しても涙ぐむことがあります)私にしては珍しく涙を流しませんでした。でも心打たれなかったわけではないです。私が一瞬、嗚咽を堪えたのは…ピットでジャケットを羽織り、ネオサイクロンに身を預け、胸ポケットにしのばせた「立花藤兵衛との思い出の写真」に向けて「おやっさん…一緒に行こうね…」と語りかけたシーンでした。

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「一緒に行こうぜ!」「行くぞ!」ではなくて「一緒に行こうね…」

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年の闘いの合間にあったであろうささやかな“癒し”に感謝している本郷猛の心情が、この一言に如実に表れていたのだと思います。

「仮面ライダー1号」。 多少の粗はありましたが十分「映画」として「仮面ライダー」として成立しています。お金を払って鑑賞できてよかったと思います。

【2016年4月6日追記】
「Yahoo!映画」内に於いて、あまりにも不快且つ邪気を孕んだ「反・本郷主義」のレビューを書いた輩がおりました。
昭和ライダーに薫陶を受けて育ってきた者としては看過できないため、本日4月6日に別稿にて当該ネットユーザーの暴言を粉砕することにしました。併せてご笑覧くださると幸いです。こちら(←色が変わっている部分)をクリックするとジャンプします。

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