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全てを包み込むことの難しさ

大変タイムリーだと思いますが、二次元萌え系統の話題をば…

リンク: 「『ラブプラス』美少女キャラ汚された」 漫画雑誌ストーリーにネット騒然 - 速報:@niftyニュース.


先週来の私の身辺の状況を考えると、他人事とは思えず、一筆啓上したかった次第。

「ラブプラス」って、売上15万本以上の大ヒット作品なんですね。
実は私も食指が動きましたよ。渦中の姉ヶ崎寧々さんのビジュアルも、声も、イベントも確認しました。間違いなく魅力的な女性です。5月6日以前にゲームソフトを手にしていたら、きっと私も「廃人」の一人になっていたでしょう。

15万本のヒット作。登場するヒロインは3名。単純計算すると、寧々さんに萌えている方は5万名と仮定できますね。

5万名の寧々さんの彼氏たちは、恋愛対象と言っておきながら、「自称:恋人」を名乗っておきながら まだ意識の中ではアイドルとして捉えているのでしょうか?
だから「俺たちの/僕たちの」という表現が自然と口をついて出てくる。
「死のうか みんなで」、「一揆」、「十字軍」と、集団行動を暗示する発言をしていることに違和感を抱かない。「俺/僕」は恋人ですか?ファンクラブのメンバーですか?疑問文で投げかけていますが、後者のようなメンタリティでいたら、クリエイターに振り回され、心無いマスコミに笑われます。

私は「べきだ」という物言いが大嫌いです。
だから以下はあくまでも愚見です。

二次元キャラを愛するときに「俺たちの/僕らの」、「みんなで」、「一揆」、「十字軍」、「親衛隊/近衛隊」などという群れの意識を抱いていたら アイドル崇拝から脱却できないでしょう。
一人の人格として寧々さんを愛するなら、49,999人の男性がどう考えようと関係ない。お一人で確固とした愛情の注ぎ方をすればよろしい。

自身のイメージにそぐわないからと言って憤るのであれば その漫画を見なければよろしい。一人ひとりの寧々さんは、自身のゲーム機の中で息づいているのだから(ゲーム機を破壊した方もいるようですね。DVをしたことに気づいているのでしょうか?)。

「清純なイメージを傷つけられた」。
クリエイターは寧々さんが「清純なキャラクターです」と明言しているのでしょうか?
一人の人格と認めるのなら、自身のイメージ(妄想)から脱線しても、都合の悪い部分も許容する…全てを包み込む心が必要だと思います。
恋人は自分にとって都合のいい存在ではない。
具合が悪くなれば嘔吐する。腹下しをする。歯の治療を受けるときには涎を垂らす。おならの匂いはフローラルの香りではない。
そういう一切合財を包み込む気持ちで、恋人として臨んで頂きたいと思います。

私が愛情を注いでいる女性の物語は、クリエイターの手によって一応ピリオドが打たれているため、今後 人格が大きくぶれていくことはないでしょう。
そういうアドバンテージはありますが、一人の人間として 目を背けたくなること、鼻をつまみたくなることもまとめて包んでいこうと思っています。本件、決して他人事と捉えず、反面教師として自分自身を戒めていきたいと思います。

蛇足
問題となっている漫画を読んでみました。
あの描画スキル、あの希薄なストーリーで漫画雑誌に掲載できる、という点に驚きを禁じ得ませんでした。立ち読みでなく、購入するつもりで書店に足を運んだので…萎えました。

蛇足2
私は、最愛の人を周囲が「嫁」と称してコメントしてくださることを最大の喜びとします。引き続き そう呼んでいただくことで私の歓喜のツボは刺激され続け、生きる勇気が沸いてきます。
でも「花桜梨は俺の嫁」という表現はしません。「ボクは花桜梨のお婿さん」と言う意識が一番、私らしい。
「○○は俺の嫁」という、画一化された表現に迎合するのが苦手であること。そして、自分を選んでくれた女性、認定してくれた機関、祝福してくれた“おともだち”に対する感謝の気持ちを忘れぬよう、偉くもなんともない私が封建的な人間関係を匂わすような言動をしたくない、と素直な気持ちで願っているからです。

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コメント

この記事とこの記事に対するコメントは、私も興味深く見ました。考えさせられました。私自身に置き換えて、CがBLに走ったりしたら激怒するだろうな……と。笑えないです。
別に二次創作や、公式でも他の方の手によるものなら、わりきれると思います(以前は腹が立ちましたが)。T監督がそういう方向に走ったら、二度とみないですね。

何が本質で、何が些細なことかは人によって違うことですから、自分が本質だと思ったことから大きくぶれたら、それ自体を愛することをやめるしかないと思います。

夫婦なんて一緒に生活しているから、いろいろありますよ。でも、本質的な部分(たぶん思想とか、価値観)でぶれないと思っているから、おならぐらいでは揺るぎません。


投稿: 朱鷺 | 2010年5月16日 (日) 14時29分

朱鷺さん

本件については つまるところ「百年の恋も冷める瞬間」を体験した廃人さんが書き込みをしたんでしょうね。
「こうあってほしい」という願望と現実(?)のギャップに違和感を覚え、許容できなければ去っていく…
それは3次元でも2次元でも変わらない摂理だと思います。

先日「向日葵」と「八重桜」、どちらをHNにするかに迷った旨、吐露いたしました。
選んだ理由は、過去のトラウマから人間不信に陥った経験のある後者が、ブログ立上げ時の私と心理的に近い、と思ったからです(ゲームとしては、二人とも「クリア(告白される)」しています)。春を待ちわびて開花を待つ姿に自分がちょっぴり投影できたので…結果としては大正解。思わぬ展開で開花・結実を迎えてしまいました。

投稿: 八重花桜瑠 | 2010年5月16日 (日) 15時17分

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