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誰もが自分を信じて戦うべきだから…

ソルブレインで東映ヒーローにちょっぴりシフトしました。
凹んだり浮上したり、忙しい毎日ですが、ちょっと思い出した言葉があったので。

以前に「あなたのTOUCHING WORD(大切な言葉)を教えてください!」というブログネタに参加していました。先刻二重投稿してみたのですが、やはり不具合があるみたいなのでチョチョイと訂正しました。

「ザ☆ウルトラマン」というアニメ作品があったのをご存知でしょうか?
1970年代終盤のウルトラブームの最中、「ウルトラマンをアニメーションでつくる」という試みがなされました。

かつてのウルトラシリーズとの相違点は多々あるのですが、思春期の入り口にいた私にとってはウルトラマンに変身する主人公の立ち位置というのがとても気になるところでした。
というか「うんうん、そうだよね」と唸らされる描写となっていました。

主人公、ヒカリ超一郎はステーション「エッグ3」から地球の「科学警備隊・極東基地」に向かう宇宙船の中で、謎の光体と第三種接近遭遇をします。
光体は名乗ります。
「私はウルトラマン(正確な名前は「ウルトラマン・ジョーニアス」)」
「地球に危機が訪れるので、地球防衛の任につくためにやってきた」
「地球上では『この姿(ウルトラマン特有の、あの姿)』では留まれない。そこでキミの体を借りたい」
これまでは、事故や怪獣の襲撃によって「命を落とした、勇敢な青年」に憑依したり(例:帰ってきたウルトラマンと郷秀樹)、地球人の姿に変身(例:ウルトラセブンとモロボシ・ダン)して地球に滞在していたウルトラマン。
落命していない人間に 真正面から自分がウルトラマンだと名乗り、地球人の青年に「体を貸してくれないか」と申し出たウルトラマンは初めてでした。

ヒカリ超一郎は申し出に応じ、科学警備隊に着任。地球防衛の任に就きます。
シリーズ前半は、比較的「いかにも」といったウルトラマンシリーズのドラマ展開でした。
後半からはスペースオペラの意味合いが強くなり、ウルトラの星「U40(ユー・フォーティ)」の反乱者「ヘラー」との戦いが描写されます。

その中で、以前のシリーズなら「それは言わないお約束」とされていたファクターが注目されます。

マルメ隊員やトベ隊員の台詞コレクションです。
「あいつは肝心なときには居ない」
「お前が居ないうちに、ウルトラマンが怪獣をやっつけてくれた」
「お前はどこに隠れていた?」

主人公は、ウルトラマンとして活動するときには同僚の前から姿を隠すことになります。
それを咎められ、悩む主人公。
ヒカリ「もう限界です。ボクは『自分がウルトラマンだ』と言ってしまいたい!」
ジョーニアス「今は言ってはいけない。いずれ話せる時が来る」

ナイーブな青年を演じた富山敬さん
思慮深い、年長者としてのウルトラマンを演じた伊武雅之(現・雅刀)さん

この二人の共演作として代表的なのは「宇宙戦艦ヤマト」です。
そういう話題性を狙ったのかも知れませんが、とてもバランスのとれたキャスティングだったと思います。

最終回では、一時的にヒカリからジョーニアスが分離し、変身出来ないままのヒカリに視線が注がれます。
「お前(がウルトラマン)なんだろ、え?そうなんだろ?」
ウルトラマンに対する隊員の「甘え」から ウルトラの長老「大賢者」の命が奪われます。

そしてウルトラマンなしでの警備隊VSヘラー軍団の白兵戦が繰り広げられ、ようやく体内に戻ったジョーニアスの力を借りてヒカリは変身。戦艦を殴って破壊したり体当たりで突入したり…当時の世相を反映したのでしょうが、宇宙艦隊とウルトラマンの肉弾戦というのもなかなか見ごたえがありました。

大団円。
ジョーニアスはヒカリの体から改めて分離し、人間体としてヒカリと向き合います。
雑誌のひとコマで再確認できますが、人間体のジョーニアスは色白で温和な「コンドルのジョー」のような風貌をしています。なかなかハンサムでした。

ジョーニアス「ヒカリ、何故、私たちのことを最後まで隠さねばならなかったか、解ってくれただろうね」
ヒカリ「はい。誰もが自分の力を信じて戦うべきだから。誰にも頼ってはならないからです」

いずれ映像媒体で確認する機会を待ちたいと思いますが、最終回四部作は、かつてのウルトラ作品を凌駕する大作だと思います。

誰もが自分の力を信じて戦うべきだから。誰にも頼ってはならないから

久しぶりに脳内再生された名言でした。

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コメント

いろいろと名言がありますね。
信じる言葉が真実なんでしょう。
私は今迷いがあるので、何の言葉が真実なのかよくわかりません。

投稿: yokomama | 2009年12月24日 (木) 18時46分

yokomamaさん

私も毎日心にたんこぶを作りながら生きています。
私が来年の今頃、瞬きをしていられますように(u_u。)

言葉に操られるのか、言葉に便乗するのか、人それぞれですよね。
気がつくと自分を正当化するための言葉を捜しているのが人間の性(さが)だと思います。
「頑張る」「頑張れ」は私の苦手な言葉ですが、頑張るしかなさそうです。

投稿: 八重花桜瑠 | 2009年12月24日 (木) 18時56分

「ザ☆ウルトラマン」懐かしいです。

最初のウルトラマンも、不慮の事故でハヤタ隊員を死なせてしまったウルトラマンが命を共有することで登場しましたね。

この作品は、アニメながら結構原点に返る試みをしていました。
変身アイテムと、OPの影絵の映像ですね。

そのうち、ブログで取り上げますから、コメントよろしくお願いします。

投稿: ヌクヌク | 2009年12月26日 (土) 22時02分

ヌクヌクさん

こんばんは。蟹江栄司さんの最後のナレーション
「危機が訪れた時、ウルトラマンジョーニアスは再び戻ると約束した。そのとき、彼と一体になって平和のために戦うのは誰だろうか?そう!あるいはそれは君かも知れない!」
を聴いたとき、鳥肌が立って「おもらし」しちゃいそうになりました。

ジョーニアスの妹のアミアも、とてもキュートな容貌で小学生なりに萌えてしまいました。

お邪魔しますので是非ブログで採り上げて下さい。

まだジョーニアスの人形と、ビームフラッシャーを持っています(^^♪

投稿: 八重花桜瑠 | 2009年12月26日 (土) 22時38分

やはり、今の社会でもそうですが大事な時やウルトラマンが出現しているときにヒカリ隊員がいつもいないのは周りが気づかないのはおかしくないでしょう。
実際の社会でしたら怒られてもおかしくないでしょう。
でも最終回には正体がわかってしまいみんまの前で正体を明かしたのはのは潔かったと思います。
(今の女子プロレス「スターダム」がその例です。
試合後マイクでお互い称え合うシーンがいいです。)
後にヒカリ隊員とジョーニアス、アミアと別れるのは平和を思わせるシーンでした。
また、ヒカリ隊員とムツミ、アミアとの「三角関係」も後の
「超時空要塞マクロス」での一条輝、早瀬未沙、リンミンメイのストーリーの原点になったような気がします。

余談ではありますが、後の「ウルトラマンメビウス」では後半、
「ウルトラマンタロウ」が32年ぶりに出演してインペライザーとの戦闘の時に同僚の隊員がミライがメビウスだったと見たのがきっかけでした。
本来なら光の国に帰還しなければいかなっかたのを周りが引き止めその後、正体がわかってもミライを一隊員として見てあげた事です。
これが本当の信頼関係だと思います。

投稿: ルフィー | 2024年11月 8日 (金) 20時26分

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