☆訪問された皆様へ~ご挨拶&自己紹介~☆

『ひびきの高校連絡帳』にお越しいただきましてありがとうございます。
ハンドルネーム「八重花桜瑠(やえ・かおる)」と申します。


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私は1983年4月1日にスタートしたアニメ「装甲騎兵ボトムズ」、及びそれに続くシリーズ作品を四半世紀に亙って変わらず愛好しております。
昨今は主人公「キリコ・キュービィ」を演じられました声優/俳優/音響監督の「郷田ほづみ」氏と邂逅する僥倖に恵まれました。また同氏とコミュニケーションを重ねる中で、神奈川県平塚市を拠点に活躍している「湘南テアトロ☆デラルテ(旧称「湘南アクターズ」)」の皆さんと接する機会に恵まれ、散発的ではありますが 彼らの活動を応援しております。




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(↑写真についての解説はこちらをクリックしてください)


また、コナミ株式会社が世に放った恋愛シミュレーションゲームの金字塔「ときめきメモリアル2」を愛し続け、当該作品に登場した八重花桜梨(やえ・かおり)嬢にあたう限りの愛情を注いでおります(平成22年5月6日、2次元キャラクター結婚認定協会様によって、私と花桜梨さんの婚姻が認定され、5月7日婚姻届提出、5月11日正式受理、5月31日に結婚式を挙げさせていただきました)

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(このイラスト入手の経緯につきましての記述があります。こちらをクリックしてご笑覧ください)
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(平成22年5月20日、婚姻後初めてのお誕生日を祝ったバースデーケーキです)


このブログでは、私の趣味・嗜好に主軸をおき、ときおり時事雑感を書き連ねていくことは勿論、私の心身に宿る花桜梨さんへの愛情・優しさを 文章を以って表現していきたいと思っております。

自身が興味を持つ事項につきましては、人間の理(ことわり)として好意的・肯定的に接し、中立を保てるとは考えておりません。心ならずも角の立つ記述をしてしまう場合もありますがご容赦ください。

それではしばし、憂き世を忘れてお付き合いください。

Established Octber 28, 2009

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37年前の赤い糸【3-3】

~ もう、忘れていたみたいだから、いいよ… ~

彼女の誕生日は、冬休み期間にあった。
だからといってそれが理由に出来るわけではない。私は彼女の誕生日にプレゼントを届けられなかった。
プレゼントのタイミングを遅らせる/遅らせざるを得ない理由はいくらでもつけられた。
まだまだ子供だったのだから。行動は家族(親)に随分制約されていた。
中学校1年生の冬休みである。今はどうなのか知る由もないが、当時はそれなりのボリュームの宿題があった。また年賀状を書き、年末年始の「家族行事」に家族帯同で行動することも必須。だから理由と云えば理由になったが 理由にならないといえば「そんなの、理由にならなかった」。私自身、そう思っている。

私は冬休みが明けた3学期の初日に誕生日のプレゼントをした。これで“負債の消し込み”はできた、と思った。

けれども 翌朝学校の靴箱に入っていた手紙を見て、自分の至らなさを思い知らされた。

「もう忘れていたみたいだから」

釈明すればよかったのかもしれない。
謝罪すればよかったのかもしれない。



精いっぱいの虚勢を張るのなら
「ボーイフレンド/ガールフレンドの関係から、仲の良い同級生に戻った」
ということになるのだろう。

大人となった今、甘美な記憶をひも解くにつけ、そう思うが当時はそんな気持ちを抱けなかった。ほかにも学友との付き合いがあり、好奇心の対象も、学校から課される課題も山積だった。
そして3学期は終わってクラス替え。

2人の絆は風化し、霧消した。

あれから37年。
私が知り合った友人・知人の誕生日や記念日を忘れず、祝辞を送ったり話題に出す遠因は“彼女”を傷つけた、寂しい思いをさせたことに対する贖罪の意識にある。

そして 毎年とは言わないものの 夏が来ると ~近隣の商業施設でマネキンが水着や浴衣を纏い始める時期がやってくると~ 私の心は地獄の業火に焼かれることになる。プール遊びをして、お弁当を独り占めさせてもらったあの夏を思い出して。

体調を幾重にも壊し、気付かぬうちに人並より速いペースで死期を迎えようとしているのかもしれない、いまの私。

就寝していると、浅い眠りの中で見る夢の中に 昔の友人・知人・学友・恩師…多くの人々が現れる。
その中で最も忘れ難く、またもっとも穢したくない“こよなく懐かしい人”が彼女であることに疑問の余地はない。

逢いたいと考えたときもあった。とある事情で、2000年の春ごろにその思いは強くなった(が、その事情については本稿では割愛する)。

同時にあれこれ自問自答した。

中学2年のときの私は彼女を求めたのか?
高校受験のとき、彼女を励ましたのか?また、励まされたのか?
高校1年生の夏休み前、下校の電車内で再会した時に手を掴み、引き寄せ、抱擁したのか?
大学生活で学友とトラブルを起こしたとき、彼女に癒しを求めたのか?
社会に出てから 婚姻に発展しそうな、或いは発展させたくなるような異性に出会った時、それを躊躇させるほどに彼女の存在は重く鎮座していたのか?

人生の節目節目で 

「彼女はいなかった/意識の中になかった」

なぜ、これほどまでに彼女の記憶に執着するのかもなんとなくわかっている。しかしその気持ちに忠実に「今、行動すれ」ば、間違いなく地獄が開門する。



この2週間、著しく体調を崩し、あれこれ考え込む中で
「彼女は私という名の歴史の教科書の1ページに息づく歴史上の人物のようなもの」。
そう結論付け、自分自身に言い聞かせることで、ようやく気持ちが落ち着いてきた。
「久しぶりに子供時代に大切にしていたおもちゃ箱を開けてみたら、お気に入りの玩具に再会し、当時の心境に戻って戯れているのと同じ感覚なのではないのか」と、少々辛辣に自らを戒めてはいる。

けれども

「もう思い出すことはない」とは言えない。吹っ切れたとも言えない。
毎年とは明言しないものの、私の卓越した記憶力は私自身をこれからも苦しめるに違いないが、その苦しみを受け続けることが贖罪の一部だと思うようにしている。

いつか 美しい and/or 可愛らしい記憶のポートレイトとして フォトフレームの中で掛け値なく輝いてくれる想い出に昇華してくれるときが来ることを願いながら、気持ちの整理を続けていきたいと思う。

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37年前の赤い糸【2-3】

~ I like you. きみが好きです ~

私は中学校1年生 ~誕生日を迎える前だったので12歳~ の時に初恋をした。
幼稚園児が無邪気に「〇〇ちゃん、好き」と口にする次元ではなく手を繋いだり抱擁、キス、性的交歓の対象として意識した相手であり片想いではなく初めての(年齢相応の)お付き合いをしたガールフレンド、との営みを指して“初恋”と云わせて頂いた。

発端は1980年の夏。1学期の後半だった。
2年次&3年次の担任となる国語科教諭、(イニシャル)E.S先生が産休を取られたために 我々のクラスの国語授業を受け請ってくれたY.A先生。 1学期後半からの受け持ちであり、2学期にはE.S先生が戻ってくることが確定しており、夏休みに有志で「さよならイベント」をすることになった。
男女各々3名で、生活圏にあるレジャープールに遊びに行ったのだが、そこで私は初めてのガールフレンドとなるN.Sさんと、複数の意味で「あつい」時を過ごしてしまった。
女子生徒3名は思い思いにお弁当を作ってきていた。記憶が定かではないが男子3名はお弁当を用意していなかった。おそらく事前に“そういう取り決め”がなされていたのだろう。37年も前の話なので、記憶の一部が欠落しているのはご容赦いただきたい。
普通に考えれば「女子生徒3名が作ってきたお弁当を、当たり障りなく皆で分け合って」食べるのが作法だったのだろうが、私は無意識に“彼女”が作ってきたお弁当(おにぎり)だけを1人で(厳密には“彼女”と2人で)食べてしまった。
自分はそれほど深く意識はしていなかったが、あの時代から“同年齢であれば女性の方が大人/おませ”と相場が決まっている。残る2人の女子生徒(或いは残る2人の男子生徒)から「この二人、怪しい」と目をつけられたとしてもやむを得ないことだった。

今となっては可愛いものだが“彼女”はまだ12歳、中学校1年生の夏を迎えた少女としては発育がよろしく、性的な知識に疎かった私にとっても「ドキリ」とする容姿だった。
第二次性徴を迎える前の幼い“男の子”から脱却できてはいなかったものの、水と戯れる水着姿の彼女を見て、心も身体も熱くなっていくのを禁じ得なかった。
イベントが終了し、Y.A先生を電車の中で見送り、私と“彼女”、その他4名は最寄駅で降りたった。
意識したわけではなかったが、そのまま帰宅することはせずに駅と直結していた商業施設内で「マンガの立ち読み」。今のようにコミック(単行本)にビニル包装やシュリンク処理がなされていなかった時代。ふたりで「銀河鉄道999」を立ち読みした。
夏休みに具体的な動きはなかったものの、2学期の学校行事であるハイキングでは「グループ分け」を無視して2人で行動した。当時の中学生の間ではトレンドになっていたゲータレードなるスポーツドリンクの水筒を回し飲み ~周囲からは「間接キスだ」と囃し立てられた~ をしてしまった。
お互いに文化部(所属は開示しない)所属だった我々。
二人きりでの下校。野球部やサッカー部の学友の目にはバレバレで、よく囃し立てられ、からかわれた。
けれども当初の2人は、自分の感情に素直に行動していたと思う。
二学期の後半に当たる時期に、奇しくも2人の誕生日があった。さらに…幸か不幸か私の誕生日の方が「先にやってきた」。
2人で下校する道すがら、“彼女”から「誕生日のプレゼント、なにがいい?」的な質問を受けたと思う。
当時私はまだまだ子供だった。「鉄人28号(1980年10月3日スタートのアニメ作品)の〇〇が欲しい」的なことを言ってしまい、“彼女”を困らせてしまったみたいだ。

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なにはともあれ、私は誕生日にバースデーカードや文具などをプレゼントされた。

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狭い…当時高校生だった姉と共用していた“勉強部屋”での幼い交歓。
互いに「体育座り」をして、コミック本を読んで他愛のない会話をしただけだった。
勿論、その日を迎える以前から、気持ちは火照っていた私は、プレゼントへの答礼を兼ねた手紙の中で 13歳を迎えた少年(児童?)としては精いっぱいの告白をした。

バースデーカードに書き込まれていた“I LiKE YOU !”のメッセージに応えるように…
「キミが好きです / I like you.」

答えはYesだった。

当時は想いが届いたことに嬉しい戸惑いを抱いたことを憶えている。

こちらをクリックすると“37年前の赤い糸【3-3】”にジャンプします。

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37年前の赤い糸【1-3】

~ お誕生日おめでとうございます ~

もうじき齢(よわい)50になる。決して大勢とは呼べないものの友人・知人にも恵まれている。“親友”と呼べるほどに濃い付き合いの方と云うのはそれほどに居ないものの、私が窮地に立たされた時に連絡をとったり、叱咤(・激励)してくれた方もいる。

そういう“お付き合いの濃淡”によって少々異なりはするが、私は多くの友人知人の誕生日を憶えている。そしてほとんどの場合、祝辞をメール乃至電話で伝えている。

こういうアクションを起こすと、素直に喜んでくださる方もいるし、困惑する方もいる。
「なんでそんなことを憶えているんだ?/憶えているの?」
「まるで“林家ペー”だね」

林家ペーなる人物がなぜ引き合いに出されるのか、私にはわからない。
どうやら林家ペーという人は、人様(ひとさま)の誕生日や〇〇記念日のように、無駄にアニバーサリー属性の日を憶えているかららしいが 真偽は確かめていない(wikiで調べればいいのに、怠惰から実行していない)。

私が人様の誕生日を完璧に近似の精緻さで覚えているのにはいくつかの背後事情がある。
一つには記憶力がいいこと
「ひびきの高校連絡帳」をスタートさせてもうじき8年になる。そのテーマの大部分には古今東西のアニメや特撮作品のエピソードや薀蓄話を織り交ぜている。
私はその殆どを記憶していて、文章として起稿するに当たり、錯誤を限りなくなくすためにネットで情報を精査する。その程度にしかネット内の情報源・データベースには触れていない。
勿論娯楽属性のコンテンツのみならず、学問(と、云うより学校での“おべんきょう”で要求される暗記という技能)についても、記憶力は遺憾なく発揮されて 私を助けてくれている。
私は物覚えが好いとは思うが、賢いとは思っていない。
なにはともあれ、それほどに記憶力には自信があると同時にこの記憶力の良さを負担に感じていている次第。
誕生日を憶えている背後事情の二つ目。
これは偏に「仲良し」だから。

自分が「仲良し」だと思っていたり「慕っている」というふうに立居振舞を見せても、お相手との間に感情や友好度の温度差がある場合は困惑される。
けれども「大切にしたい友人・知人だから“覚えた誕生日は忘れない”」。
とはいえ「お誕生日おめでとうございます」といった主旨の発信をした相手から、自分の誕生日に答礼が来ないときには ~ほとんどがそんな感じだが~ 寂寥感もひとしおである。
けれどもこの“寂寥感”については、一生背負っていかなければならない感覚なのだと自らに言い聞かせている。
それが三つ目の背後事情にも繋がっているのだから。

こちらをクリックすると“37年前の赤い糸【2-3】”にジャンプします。

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花桜梨、お誕生日おめでとう…

今年も一緒にお誕生日をお祝いできることを幸せに感じます。

これからも自分らしく、花桜梨のペースで“色も香りもある”花を咲かせていこうね…

2017

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銅婚式

本日5月7日。
2010年5月7日に私は2次元キャラクター結婚認定協会さんに八重花桜梨さんとの婚姻届を提出しました。
つまり結婚記念日であり 7周年ということで「銅婚式」ということになります。

協会さんは活動を長く休止していますが 婚姻が認定された時の喜びは忘れないように。

これからも自分らしく 八重のペースで花を咲かせていきたいと思います。

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早川健/快傑ズバットについて書いてみます

ここしばらく、Amazonプライムの無料動画配信で快傑ズバットを視聴しています。

実は私はVHSビデオ、LD、DVDのソフトとして快傑ズバットは過不足なく持っています。
しかしながら再生機械が機能しなかったり(VHS)、直ぐに手元に取り出して再生できない(LD & DVD)状況にあるため、ここ10年近くは「腰を据えて視聴する」ことができずにいました。

Amazonプライムで無料動画が視聴できる旨知ったのは、職場の同僚からでした。3年ほど前からプライム会員になっていたので「これは見るしかない」と思ってサイトにアクセス。いの一番に「快傑ズバット」を検索しましたが 当初はヒットしませんでした。
仕方なく「仮面ライダーV3」「秘密戦隊ゴレンジャー」「特救指令ソルブレイン」などの宮内洋作品を見て我慢していましたが この度晴れてズバット、否、早川健さんの勇姿に再会できることになりました。

さて「思い出は美化されやすい」と申しますが、ある意味正鵠を射ているな、と感じました。「秘密戦隊ゴレンジャー」を瞥見した際、当時はキラキラしていたアオレンジャーの活躍が 少々薄味に感じられました。これは限られた尺(20数分という放送時間)の中で、5人のヒーローを過不足なく活躍させる視座に立った場合やむを得なかったのかもしれませんが、アオレンジャー/新命明(しんめい・あきら)目当てに視聴をすると、どうしても物足りなさを感じてしまいました。

宮内洋さんが主役級として出演されたヒーロー作品の時系列としては「V3」「ゴレンジャー」に次ぐ三番目の作品ですが 宮内さんが自ら代表作と発信される通り 今視聴しても“濃い”味わいを楽しめました。

親友・飛鳥五郎を殺害した犯人への復讐を主目的にさすらいの旅を続ける私立探偵・早川健(はやかわ・けん)。行く先々で市井の人々を苦しめる“やくざ者”をおちょくり、いなし、お約束の「用心棒との武芸(&奇術)対決」。

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かつて宮内さんは「悪がどれほどふざけた立居振舞をしていても、ヒーローは真面目に悪を倒さねばならない」と仰っていました。ときには早川健自身が“ふざけた”立居振舞をしますが、最後は必ず市井の人の安全バーゲニングチップにしてピンチに晒され、宮内ヒーローおなじみの“青タンダメージ顏”で袋叩きに遭う。

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勝利(?)を確信して醜悪な勝鬨をあげる悪党たちの耳に轟くスバッカーのエンジン音。敵陣のど真ん中に飛び込み、高笑いで悪を震撼させる真紅の男!

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ヒーローとしてのズバット(早川健の着用する“ズバットスーツ”)の意匠も秀逸。5分間に制限されているズバットスーツ着用時間の設定は、物語が進むにつれて敵陣営にも知られることになり 手強さを増す用心棒の攻撃と相まって緊迫感を煽られていきます。
バイプレイヤーにも「昭和40年代変身ヒーローっこ」であれば馴染のある方達が多く(変身ヒーローの主役級からヒーローの支援者、悪の組織の大幹部まで)、最後の最後まで飽きさせません。

ネタバレは控えますが「昭和40年代変身ヒーローっこ」であれば脊椎反射的に“安心してしまう”あの俳優さんを“ああいう風に起用するか!?”と 感心せざるを得ません。

宮内洋さんの「身体の何処を傷つけても“正義のヒーローの血が流れてくる”と確信できる演技」はCG全盛の昨今のヒーローの追随を全く寄せ付けないこと請け合いです。

♪「快傑ズバット」との出会い♪
ここからは私事です。
昭和52年2月2日。この時期 私はまだ小学校3年生。9歳でした。
私の母校の小学校は、自治体教育委員会の指定で「体育教育の研究校」に指定されていたらしく、学校あげて、常軌を逸した体育授業、行事、それに付帯関連する活動が盛んでした。更に難儀だったのが私個人が所属する学級の担任でした。3年次の担任は体育至上主義を体現する偏った思想・嗜好の老婆で、要するに「体育ができない児童」には容赦ない罵声を浴びせ、打擲・折檻する 畜人鬼のような人物でした。
そんな生物(なまもの)に生活の大半を支配され、登校拒否直前(大人目線であれば既に登校拒否だったのかもしれません)まで追い詰められた私。
姉と共用していた勉強部屋に置いてあった室内アンテナ式の白黒テレビの画面の中でギターをつま弾く早川健と出会い「大きな面(つら)をしている悪党」を軽くいなしてしまうキザな姿に 狭量な担任教師に抵抗したい自身の欲求が見事に重なり 放送初回にして拍手喝采を贈ったものでした。40年を過ぎてなお、快傑ズバット、というよりも早川健さんは 凡百のヒーローが束になってかかっても追随することのできないヒーローとして私の心の中で生き続けています。

♪宮内洋さんからの手紙♪
レスキューポリスシリーズ第二作である「特救指令ソルブレイン」がリアルタイムで放送されていた平成3年11月。私は拙宅近隣の商業施設で宮内洋さんと“再会”しました。実は昭和56年7月26日、「全く同じ商業施設」において宮内さんはアクションショーに登場されており 実に10年ぶりの再会となった次第です。
勿論
「10年前もここでお目にかかったんですけれども…」
「えぇっ!?オレ、10年前もここに来ていたの?それでキミ、また来てくれたの?」
程度の会話しかできませんでしたが「アクションショーの興奮冷めやらぬうちに」と とある提案(宮内さん演じる“早川健”を主人公においたドラマ)を送付したところ、更に数日後、宮内さんから直筆の手紙を頂きました。
「サイン色紙」であれば、事務的に何枚でも(失礼)書かれるかもしれません。しかしながら…手紙です。

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サインとは全く異なる わずかな時間・労力であっても私の為だけに便箋に向かい、私に語りかけるためにペンを走らせてくれたという事実が私にとっては名状しがたい幸福です。
以降平成5年頃まで生活圏で開催される「宮内洋アクションショー」には足繁く通いました。
そして某動物園でのアトラクションではついに(当時の定番だった)正木俊介本部長ではなく、早川健のウェスタンルックで登場!
24歳だった私は“ズバット”劇中の寺田オサム少年に負けじと「早川さぁぁぁんっ!」と声援を贈ったものです。

ファン(おおきなちびっこ)をいつまでも大切にしてくれる宮内洋さん。
「演じた役柄と俳優さんご本人は別」
という言葉は慣用句のようになっていますが、少なくとも宮内洋さんと早川健は限りなくイコールだと言い切れます。

そんな“早川さん”の活躍を改めて見ることができるなんて…僥倖ここに極まれりです。

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押し買い

安全&備忘のためにアップしておきます

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グーテ・デ・ロワ ソレイユ

退職した同僚が職場で配っていたお菓子。

グーテ・デ・ロワ ソレイユ

あまりにも美味しかった。

忘れ難し。同僚もこのお菓子も。

取り急ぎ備忘ということで

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追悼・塩山紀生先生

日付が変わったため、一昨日の出来事になってしまいましたね。

平成29年(2017年)4月13日。
装甲騎兵ボトムズのキャラクターデザインを担当されていた塩山紀生先生が不慮の事故(火災)のために亡くなりました。

直前のペギー葉山さんのご逝去の際も起稿させていただきましたが 更新が途絶えがちな「ひびきの高校連絡帳」で鬼籍に入られた方について連続して言及することになるとは思ってもいませんでした。

塩山先生と言葉を交わしたのは 結果として2、3度だったと思います。

最後に言葉を交わしたのは2010年の「ボトムズナイト」のとき。

初めて言葉を交わしたのは…詳細は割愛しますが私が人生を諦めていた頃。
実は郷田ほづみさんもその場には居合わせたのですが、そこで私を(お酒の入った)赤ら顔で叱咤激励してくださいました。

あまりにも…あまりにも急な、そして…やりきれない、間尺に合わない死因…

上手く言葉が繋げません。

…長きにわたって我々に素敵なキャラクター達を キリコを授けてくださってありがとうございました。
「ひと足先に自由になった兵士たち」と共に どうか向こうの世界で心行くまで盃を傾けてください。

改めて ご冥福をお祈り申し上げます。

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マットアローと共に

平成29(2017)年4月12日、歌手のペギー葉山さんが亡くなりました。

広く知られていることかとは思いますが、ウルトラマンタロウにおいて「ウルトラの母」人間態である「みどりのおばさん」&ウルトラの母(の、声)を演じられた方。

調べてみて驚きました。

「ひらけ!ポンキッキ」内で道徳的なことを子供たちに諭すおばさんとして活躍を始めたのも同時期だったんですね。
少々けばけばしい風貌に困惑しましたし 「いやいや」属性の感情もあった幼稚園の頃、ポンキッキのおばさんの言うことに首肯するのは抵抗があった反面「ウルトラの母」「ウルトラマンタロウのお母さん」の言うこととあっては表だって刃向うこともできませんでした。

時代も時代です。まだまだ「戦うヒロイン」の前例が潤沢でない中 後に国民的・世界的なヒーローコンテンツの雄となるテレビ作品で「太陽のよう」な母親像を確立してくれたことについては感謝の念を禁じえません。
また、ウルトラマンタロウ最終回での「光太郎さん、とうとうあなたも見つけましたね バッヂの代わりに生きる喜びを手に入れたのです」という台詞が大変印象的でした。

これからはご主人の伊吹隊長の操縦するマットアローと並行し ウルトラの星を目指して長旅を楽しんでください。

お疲れさまでした。

さようなら “おかあさん”

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